Turning Point of Performer Vol.10 | 長屋晴子(緑黄色社会)

TURNING POINT OF PERFORMER

自分や仲間だけで演奏している“プレイヤー”から、オーディエンスを相手にして演奏する“パフォーマー”。同じ演奏だが、何かが違うはずだ。日本のロックシーンを熱くしているパフォーマーたちは、どうやって“プレイヤー”から“パフォーマー”へとステップアップし、また、パフォーマーであることにどんな魅力を感じているのか。TURNING POINT OF PERFORMERと題したシリーズ10回目は、緑黄色社会の長屋晴子(Vo,Gt)が登場。

このメンバーとなら、世の中に私たちの音楽を 浸透させられる自信がありました
 

― バンドを始めようと思ったきっかけは?

長屋晴子(以下:長屋)   もともとピアノを弾いていたのもあって、吹奏楽部に入って音楽には携わっていました。ところが、中学生の時にバンドという言葉を知って、バンドで歌をやってみたいと思いました。高校で軽音楽部に入り、ヴォーカルと言えばギター&ヴォーカルだと思いギターを始め、バンドを組みました

― 他のメンバーも軽音楽部の部員だったのですか?

長屋  違うんですよ。ギターの小林と私はどうしても軽音楽部に入りたかったので、入学前からSNSで軽音楽部に入ろうと約束をしていたんです。キーボードのpeppeは入学式に初めて会って話をしました。“部活は何にするの?”って聞いたら、ダンス部とチア部と吹奏楽部で悩んでいると。軽音楽部は希望の部に入っていなかったのですが、ピアノを弾いていると言うので私が誘ったら“いいよ”と言ってすぐにバンドに入ってくれました。peppeはバンドの音楽を聴いていなかったので、皆目的が一緒だったわけではないです。ベースの穴見は小林の幼馴染で、小林の紹介であとから加入したんです。

― 最初のライヴを覚えていますか?

長屋  ライヴと言っていいのかわからないですが、最初に人前で演奏を披露したのは、高校の文化祭に出るための部内オーディションです。文化祭に出るのは2〜3年生が優先で、一年生は1〜2枠くらいしかなくて。しかも、1年生の部員がめちゃくちゃ多かったのでオーディションがあったんです。それが初めての人前での演奏でしたね。

― 演奏はどうでしたか?

長屋  先輩が審査員ですごく嫌でしたね(笑)。SEKAI NO OWARIさんの「虹色の戦争」を演奏したんです。緊張してあまり覚えてないんですが、ちょっと感触はあったんですよ。先輩の目がキラっとした感じがして。そこで、人前で演奏するのは楽しいんだって思いました。結局、オーディションも受かって文化祭で演奏もしました。

― 文化祭での演奏はどうでしたか?

長屋  どうだったかなぁ…。その時は演奏を全うすることに必死で、楽しませるぞっていうよりは、いかにミスをせずに演奏することだけに必死だったので、あまり景色を覚えていなくて…。ただ、観てくれた友達が演奏が終わったあとに“すごく良かったよ”って言ってくれて嬉しかったのを覚えています。

― ライヴハウスデビューは?

長屋  軽音楽部の5〜6バンドと、地元・愛知県新栄のトーラスというライヴハウスを借りてやったのが最初だと思います。私の記憶の中で一番思い出したくないライヴです。

― 何があったんですか?

長屋  ライヴの序盤に小林のギターの5弦が切れたんですよ。当時はMCも知らないので、場をつなげなきゃいけなくてどうしようと思って…。当時のベースが明るい子で一発ギャグを持っていたんです。“やってよ”と人に振ることしかできなくて、それでもつなげない(笑)。“早く弦を張り替えて!”と願うばかりで、すごく時間が長く感じましたね。演奏もテンパっちゃって、本当に嫌な記憶なんです。

― オリジナル曲はいつ頃から作り始めたのですか?

長屋  高校2年生の6月、ベースの真吾が加入したんです。それからは、文化祭には出ていましたが部活ではあまり活動しなくなりました。真吾は当時中学3年生だったので、学校で活動するのが難しくスタジオを借りて練習していたんです。それで、閃光ライオットに応募したくてオリジナル曲を作るようになりました。

― なぜ閃光ライオットに応募しようと?

長屋  高1年生の時に、軽音楽部の先輩が閃光ライオットのファイナリストに選ばれて野音(日比谷野外音楽堂)までライヴを観に行ったんです。“先輩カッコいいな、私たちも絶対に出るぞ”って決意してから、1年後の高校2年生で曲を作り始めたんです。そして、初めて作った曲「マイルストーンの種」で応募しました。曲の作り方もわからなかったので、めちゃくちゃ時間はかかりましたね。パソコンやDTMの使い方もわからなかったので、スタジオに入って曲を作って。当時、バンドサウンドの知識が一番あったのが真吾だったので、彼が適当にスラップをして“そのフレーズいいじゃん”っていうところから曲にしようよと。知識もない中、それに見合うコードをつけて、その場でホワイトボードに小林が歌詞をバーッと書いてメロディーも一緒に作って。最初は手探りで曲を作りましたね。

― 先輩にファイナリストがいたとは言え、みんなが閃光ライオットに応募するわけではないはずですよね?

長屋  大きな場所で歌いたいとか、将来は歌がやりたいってずっと思っていました。それだけではなく、先輩のthe unknown forecastというバンド以外に、閃光ライオットでGalileo Galileiさんを知って、“若いのにこんなにいい曲が書けるのか”って思ったんです。「ハローグッバイ」という曲を聴いて“若いのに天才だな”って思って、私もこういう曲を作りたいなって。それまでは吹奏楽とコピーしかやったことがなかったけど、それって楽譜があるわけですよね。そうじゃなくて、イチから作ってみたいという気持ちがあって応募しました。

― 閃光ライオットでは準グランプリを獲得しましたが、それから先はどうしたんですか?

長屋  実は、それから先はどうしたらいいのかよくわからなくなってしまって。そもそも学生だったので、目の前のことでいっぱいいっぱいだったんです。しかも閃光ライオットを目指してやってきたので、それから先、どう活動したらいいのかいまいちわからなくて。曲を作ってライヴをしたり自主制作でCDは出すけど、自分たちに似合う音楽とか何がしたいのかがよくわからなくて。それから淡々と1〜2年が過ぎて、正直このまま終わるのかなぁって不安でした。

― その状態をどう打破したのですか?

長屋  20歳になる頃、周りの人は就職活動を始めるわけですよね。それで自分も“もっとしっかりしなきゃ”っていう気持ちになりましたし、その頃からメンバー全員が曲を書くようになったのも大きかったです。それでバンドの可能性が広がったような気がします。メンバー全員が曲を書くことによっていろんな曲が生まれるようになって、皆の士気も高まったというか、“もう一回頑張るぞ”という気持ちになりました。それと、私が一回波乱を起こしたんです。このままでいいのか、このメンバーでいいのかっていう話をメンバーにして。それでまたみんなの気持ちが変わった気がしました。

― 就職しようとは思わなかったですか?

長屋  思わなかったですね。メンバーみんながヘンにバンドマンっぽくなくて、それが周りにいる他のバンドとは違う気がして面白いなと思えて。このメンバーとなら、世の中に私たちの音楽を浸透させられるんじゃないかなっていう自信がありました。根拠がないので説明しにくいんですけど。

― ロシアの作家、イワン・ツルゲーネフも小説「初恋」の中で“青春に魅力があるとすれば、その魅力の秘密は、何でもできるというところにではなく、何でもできると思えるところにある”と書いていますからね。では、軽音楽部のバンドにアドバイスを送るとしたら?

長屋  実は一昨年、愛知県の高校の軽音楽部に講師として行ったことがあるんです。毎年開催されている軽音楽部の合宿に参加して。思ったのは、何をしていいのかわからないっていう子が本当に多くて。私はヴォーカルの子を見ていたんですけど、めちゃくちゃ上手いし、表現力がすごくある子も多いんです。でも、音楽の道に行きたいけど勇気が出ないとか、どうやってメンバーを集めたらいいのかわからないとか、先に進めない子がたくさんいたんですよ。私の経験から言えることは、一歩踏み出すだけで世界がガラッと変わるので、勇気を出してみてほしいなと思います。本人たちは気づいていないだけで、若い世代にはめちゃくちゃすごい子がいっぱいいるので、プロの人たちと触れ合う機会が増えてプロの世界を知れるようなになれば、次の一歩が踏み出しやすくなると思います。


AMERICAN PERFORMER TELECASTER® HUM

TURNING POINT OF PERFORMER

カリフォルニア州のコロナ工場で製造されるAmerican Performer Telecaster Humは、DoubleTap™ハムバッカーを搭載し、USA製フェンダーならではのオーセンティックなトーンとフィーリング、そしてフォーマンスにインスピレーションを与え新たな次元へと導くモダンスペックを随所にフィーチャーしています。

 

PROFILE


緑黄色社会
愛知県出身・在住 の4ピースバンド。メンバーは長屋晴子(Vo,Gt)、小林壱誓(Gt,Cho)、peppe(Key,Cho)、穴見真吾(Ba,Cho)。長屋晴子の力強く透明で時に愛らしい独特な歌声、peppeの型にはまらないフレーズ、小林壱誓の柔らかいコーラス、バンドを支える最年少、穴見真吾のベースライン。同級生3人と幼馴染で組まれ、お互いを知り尽くした4人がそれぞれの個性を出し合い、幅広いカラーバリエーションを持つ楽曲・サウンドを生み出す。2013年、10代音楽フェス「閃光ライオット」準グランプリ。これまで、3枚のミニアルバムと、1枚のフルアルバムをリリース。2018年末に開催されたツアー「溢れた音の行方」は各地ソールドアウト。2019年5月29日に最新作「幸せ -EP-」をリリースすることが決定。
› Website:http://www.ryokushaka.com

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