Cover Artist | 鈴木茂 -後編-

レコーディングはほぼStratocasterとTwin Reverbの組み合わせ

鈴木茂

伝説的バンド“はっぴいえんど”のギタリストとして活躍し、解散後に単身L.A.に渡りソロアルバム「BAND WAGON」を完成。その後、ティン・パン・アレーのメンバーとして数多くのセッションを重ね、現在も鈴木茂BANDや完熟トリオとして精力的なライヴ活動を展開。スタジオワーク、ライヴサポート、アレンジャー、プロデューサーなどマルチな音楽的感性を持つ鈴木茂が登場。後編ではフェンダーギターの話を中心に聞いた。

Telecasterはフェンダーの中でも
個性的な音色で、とても素晴らしいギター
 

― 最初に手に入れたフェンダーは?

鈴木茂(以下、鈴木) はっぴいえんどの頃によく聴いてたバンドがポコ。あとはエリア・コード615のウェイン・モスやジェリー・リードなど、とにかくカントリー系のギタリストはTelecasterが好きなんですよ。そのTelecasterの音がすごくいいなと思っていて、欲しいと思っていたわけです。だけど、最初にテレキャスを買いに行った時、テレキャスの隣にあった別のギターを運命のいたずらなのか買ってしまって(笑)。その明くる年か2年後に、ようやく念願のテレキャスを手に入れたんです。それが最初に買ったフェンダーのギターで、今でもそのTelecasterは使っています。とは言え、Stratocasterもないとまずいと思って、ロサンゼルスでフィエスタレッドのストラトを買いました。

― フェンダーと他メーカーのギターは何が違いますか?

鈴木 フェンダーはクリアで鮮やかですよね。そしてカラッとした音なんです。だからレコーディングでも、EQでは作れないきらびやかな音色を最初から出せるんです。カントリーの名手たちがフェンダーを好む理由はいろいろあるんだろうけど、そういった鮮やかで派手な音色を出せるのが大きいと思うんです。僕がいいテレキャスの音色だと思ったのは、ジム・メッシーナとジェリー・リード。2人とも違う音色なんだけど、ジム・メッシーナはリアピックアップの音がいいですよね。Telecasterってフェンダーの中でも個性的な音色で、とても素晴らしいギターだと思います。

― ストラトはいかがですか?

鈴木 ストラトはどちらかと言うと繊細な音色なんですよね。だから、ギター以外のエフェクターとかアンプの力で上手くカバーしてあげないと本来の力を発揮できない。ジミ・ヘンドリックスがストラトの違った素晴らしさを初めて世に出した人だと思うんだけど、繊細なStratocasterをパワフルにアンプで出力して、Stratocasterのちょっと物足りなかった部分を補ってああいう音色になる。

― なるほど。

鈴木 逆に言うと、StratocasterとTwin Reverbの組み合わせも、それはそれでいいんですよ。リズムカッティングですごく魅力的な音が出せる。だから僕のレコーディングでは、ほとんどStratocasterとTwin Reverbの組み合わせなの。ジミヘンみたいにパワフルな音を要求されてこなかったから。ユーミン(松任谷由実)のレコーディングもBAND WAGONのレコーディングも、全部StratocasterとTwin Reverbの組み合わせなんですよ。だから、ジミヘンみたいな歪み気味の音とは違うんです。


ギターって宇宙みたいな ものですよね。無限です。
 

― ストラトで言うと、発売になったばかりのAmerican Acoustasonic Stratocasterをバンドで演奏したとお聞きしましたが、いかがでしたか?

鈴木 面白いですよね。いろいろな機能がついていて、1日じゃなかなか覚えきれないような、とっても楽しいギターです。まるで発明品のようなのに、胴鳴りもちゃんとしている。現場にこの1本を持っていけば、アコースティックとエレキの両方が使えるから便利ですね。

― いみじくも発明品と言っていただきましたが、このギターには“もしレオ・フェンダーが今まだ生きていたらこういうギターを作っただろう”というテーマがあるんだそうです。ご存知の通り、レオ・フェンダーはプレイヤーでもなければギター職人でもなくて、ラジオを作っていた発明家だった。つまりフェンダーのギターは、発明家が作ったギターだったわけです。

鈴木 だから、フェンダーのギターはとても合理的で丈夫に作られています。ストラトを何度もスタジオで倒したことがあるんだけど、全然問題ない。だけど他のメーカーのギターは、何もいじっていないのにある時にネックが折れていたことがあった。そういった意味ではフェンダーは丈夫だし、パーツの付け替えも容易に行うことができます。

― 工業製品を作るような感覚があったのだと思うのですが、そういうフェンダーの哲学についてどう感じますか?

鈴木 好きですよ。そして、ある意味で“ロック的”かもしれないですよね。抽象的な言い方だけど、可能性をできるだけ残しておく感じ。あるいは、限定しないと言ったらいいのか。そういった思想だと思うんですよね。今のフェンダーのマスタ―ビルダーの方々も、レオさんのスピリットを当然持っているとは思うんだけれども、大切にすべきだよね。楽器を作った方たちと僕たちミュージシャンが作り上げてきたものが音楽で、お互いにいい影響を与えて作り上げたものだから、そこを大切にしなきゃいけないのかなと思いますね。

― これから先、ギタリストとして何を追い求めていきたいと考えていますか?

鈴木 ヴァン・ダイク・パークスが72年に「DISCOVER AMERICA」というアルバムを作って、その中に「BE CAREFUL」という曲があるんですけれども、それはストリングスとスチルパンの組み合わせで作った曲なのね。トラディショナルな美しい曲なんだけど、とてもサイケデリックな複雑なストリングスなんです。で、BAND WAGONの時にホーンアレンジをしてくれたカーヴィー・ジョンソンとヴァン・ダイク・パークスが仲が良くて、カーヴィー・ジョンソンに“あのストリングスはどうやって録音したんですか?”と聞いたら、2人背中合わせで同時にアレンジをして、あくる日スタジオに持っていってふたつとも録音して、それを合わせたんだと教えてくれたんです。だから、うねっているんですよね。そういった新しい実験的な部分と、トラディショナルな部分を上手くブレンドした音楽を作っていけたらいいなと思っています。

― 素敵です。

鈴木 あと最近、大瀧詠一さんの曲をライヴでやるようになって。きっかけは、僕がアルバム「BAND WAGON」(75年)を作った何年かあとに、大瀧さんがどこかのライヴハウスで「大瀧詠一 鈴木茂を唄う」というライヴをやってくれたんですよ。そのお返しということもあって、逆に「鈴木茂 大瀧詠一を唄う!!」っていうのをやっていきたいですね。

― それはぜひとも聴いてみたいです。ちなみに、ビギナーがはっぴいえんどや茂さんの曲をコピーする場合、どの曲から入ればいいと思いますか?

鈴木 ギタリストにとっては「BAND WAGON」の曲が一番入りやすいでしょうね。はっぴいえんどは3枚ともバンドサウンドなので、どの曲もとても入りやすい。大瀧さんの曲に関して言えば後期よりも初期、「NIAGARA CALENDAR」とか「A LONG VACATION」よりも前のほうがバンドサウンドとしてはいいのかもしれないですね。

― 茂さんがギターを手にしたのは10代ですよね?

鈴木 そうですね。14〜15歳かな。

― もう50年以上ギターを弾いている計算ですが、改めて茂さんにとってギターとは?

鈴木 ギターって、楽器の中でも特に意外性を持った楽器ですよね。どの楽器でもそうなんだろうけども、特にエレキギターって音が多様でしょ。いろんな組み合わせもできるし。ピアノやヴァイオリンにも個性はいろいろあるけれど、まったく違う音色は出せない。だけど、ギターは本当に幅が広い。インタビュー前編でポリスから刺激を受けた話をしましたけど、ポリスが面白かったのは、キーボードをできるだけ使わずにギターでオーケストレーションというかアレンジを作ったことです。だからそこに、キーボードでは出せない個性というか深みというか可能性があった。僕も自分なりにそういった世界を追求していきたいんですよね、これから先も。そして、ポリスのアンディ・サマーズが“U2のエッジのギターがさらに新しいアイディアをくれた”ということを言って、そういった流れがコールドプレイなどに引き継がれて、ギターの音もどんどん変化、進化していますよね。だから、ギターの可能性はまだまだ広がっている。やっぱり、音を作る時もギターが面白い。

― 50年以上触っていてもまだ面白いんですね。

鈴木 そうなんですよ。ギターって宇宙みたいなものですよね。無限です。

― 最後に、これからギターを始める人にメッセージをお願いします。

鈴木 一番大切なのは、個性ですよね。テクニックも大切だと思うけれども、チャック・ベリーみたいなギターが何十年も生き残る秘訣だって言いたいかな(笑)。シンプル・イズ・ザ・ベスト、ですね。


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鈴木茂

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PROFILE


鈴木茂
51年、東京都生まれ。68年にスカイを結成しプロデビュー。69年、細野晴臣に誘われ、松本隆、大滝詠一とヴァレンタイン・ブルーを結成。翌年、バンド名を“はっぴいえんど”と改名し、アルバム「はっぴいえんど」でデビュー。アルバム「風街ろまん」「HAPPY END」を残し、72年末に解散。解散後は細野、林立夫、松任谷正隆らとキャラメル・ママを結成。74年、単身L.A.に渡りソロアルバム「BAND WAGON」を完成させる。帰国後アルバムリリースに合わせ鈴木茂&ハックルバックを結成し、全国ツアーを行う。その後ティン・パン・アレーのメンバーとして数多くのセッション活動を重ね、ソロとしても7枚のアルバムを発表するかたわら、スタジオワーク、ライヴサポート、アレンジャー、プロデューサーとしても活躍。ソロアルバムに、「LAGOON」「Caution!」「White Heart」「SEI DO YA」など。2000年、ティン・パン・アレーのメンバーだった細野、林立夫とともにTin Panを結成し、アルバム「Tin Pan」をリリース。08年に、70年代後半の活動を6枚のCDボックスにまとめた「鈴木茂 ヒストリー・ボックス/クラウン・イヤーズ1974-1979」をリリース。19年に活動50周年を迎え、現在も伝説的ギタリストとして幅広い世代からリスペクトされている。

› Website:http://suzuki-shigeru.jp

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