ジグソーパズルの物語 | Jag-Stang

Nirvanaのフロントマン、カート・コバーンはどうやってJaguarとMustangのマッシュアップを夢見たのでしょう

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長い間、フェンダーはアーティストの為に楽器をデザインしてきました。その中でも他とは違った注目すべきギターがあります。それはフェンダーのアイデアではありませんでした。

そう、Jag-Stangは、カート・コバーンのアイデアなのです。

おそらく、エレキギター史上最大のアンチギターヒーローの1人であるカート・コバーンは、フェンダーのJaguarとMustangをこよなく愛し、その二つを融合させたJag-Stangを夢見ていました。彼は1993年にいくつかのプロトタイプを製作する為のアイデアを伝えにFender Custom Shopを訪れました。そこで製作されたギターの一本は、彼のキャリアの後半、短い間でしたがステージで使用されました。1994年4月カートは永遠の眠りにつきましたが、フェンダーはその楽器の製作を進め、1996年に日本製のJag-Stangを発売しました。

1990年代初頭に、マスタービルダーを務めたラリー・ブルックスは、直接カートとやりとりをしながら、最初のプロトタイプを製作しました。彼は、カートが考えていた”半分Jagurで半分Mustang”というアイデアを聞いたとき、途方も無い打ち合わせを繰り返す必要がないことをすぐに理解しました。

「彼はJaguarとMustangの写真を撮り、それらを半分に切ってどう見えるか考え始めたんです」ラリーは1994年のインタビューで話しています。「それが彼のコンセプトでした。そして、私たちはバランスを考えながら、彼に渡す為の輪郭を作成しました」「彼はとても一緒に仕事をしやすい人でした。彼と座って話し、それから私たちはプロトタイプの製作を始めたのです。彼は出来上がったプロトタイプをしばらく弾いて、いくつかの提案を私たちに送ってきました。そして次のプロトタイプで修正したんです」

カート自身は明らかに反企業的な人でしたが、どれだけJag-Stangを愛していて、そのギターがフェンダーととても密接な関係にあること、そしてそれに矛盾はないことを同じインタビューで語っています。

「ギターをプレイし始めてからずっと同じギターを好んで使ってきたけど、それは僕が自分で探していた完璧な組み合わせを見つけることができなかったからなんだ。」カートは続けます。「Jag-Stangは僕が知ってるギターの中で、もっとも僕が探していたものに近いギターだよ。それに、このクオリティの高いギターを、先入観をつけずに販売するっていうアイデアは気に入っているんだ。ある意味、アンチギターヒーローの僕の名前をJag-Stangに付けるのは完璧だとも思ったよ」

ギター製作については、ドキュメントとして残されています。初期にカートが描いたいくつかのデザインも含め、2002年に発売された”Kurt Cobain Journals”に記載されています。また、カートはお気に入りのMustangのネックをFender Custom Shopに送って、同じように製作してもらったとも伝えられています。

ラリーは、2本の左利き用プロトタイプを製作しました。1本はSonic Blue、もう一本はFiesta Redカラーで、実際にはSonic Blueのものだけがカートに送られました。カートはそれを受け取ってすぐ、そのギターを1994年のツアーのいくつかの会場で使用する為、いくつかのリクエストと共にフェンダーに返送しました。

カートはFiesta RedカラーのJag-Stangを見たことがありません。1995年のインタビューでラリーは語っています「ちょうどその赤いギターを彼に送るために梱包したとき、彼の訃報を聞いたんだ」


 
 

コバーンが亡くなった後、コートニー・ラヴは、Sonic BlueのプロトタイプをR.E.Mのギタリスト、ピーター・バックに渡しました。1994年のR.E.Mのシングル”Let Me In”はカートに敬意を表して製作された曲で、ベーシストのマイク・ミルズは、1995年のツアー中に何度かそのギターでプレイをしました。1994年にアメリカでリリースされたフェンダーの雑誌”Front Line”には、このJag-Stangについての物語が記載されています。

その後、カートの遺族から承認を得て、フェンダーはこのJag-Stangの製造計画を進めました。最初の日本製Jag-Stangは1995年に発表され、Special / Deluxeシリーズの中の一本として正式に販売されることとなりました。

そのJag-Stangは、バスウッドボディ、JaguarやMustangと同じ24インチスケールのメイプルネック、7.25ラジアスのローズウッド指板、22フレットに、ヴィンテージスタイルのシングルコイルピックアップをフロントに、スペシャルデザインのハムバッカーをリアに装着し、(プロトタイプは、フロントにTexas Special™、リアに DiMarzio®H-3ハムバッカーを採用。)また、JaguarやMustangの特徴である、スライダースイッチや、金属プレートにマウントされたボリュームとトーン、そしてムスタングと同じ、テイルピース付きのフローティングトレモロを採用していました。

この初期のJag-Stangは4年間販売され、1999年初頭に生産中止となりました。

カートが亡くなってから、10年の区切りが近づくと、フェンダーはアーティストシリーズの一部として、Jag-Stangを再発売しました。このギターにはとても熱狂的なファンがついており、伝統的ではないフェンダーギターの中で、最も評判の良いモデルの一つになりました。今はもうあまり見かけないかもしれませんが、2010年のトニー・ベーコンが書いた、フェンダー60周年の歴史の表紙は、Fiesta RedのJag-Stangをクローズアップした写真だったのです。

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