Turning Point of Performer Vol.5 | おかもとえみ(フレンズ)
自分や仲間だけで演奏している“レイヤー”から、オーディエンスを相手にして演奏する“パフォーマー”。同じ演奏だが、何かが違うはずだ。日本のロックシーンを熱くしているパフォーマーたちは、どうやって“プレイヤー”から“パフォーマー”へとステップアップし、また、パフォーマーであることにどんな魅力を感じているのか。TURNING POINT OF PERFORMERと題したシリーズ5回目は、フレンズのおかもとえみ(Vo)が登場。
― まずは楽器を始めたきっかけから教えてください。
おかもとえみ(以下:おかもと) 私は中高一貫の女子校に通っていたんですけど、中1で部活を決める時、小学校の頃からずっとダンスをやっていてSPEEDが大好きだったので、ダンスヴォーカルをやろうとまずはダンス部に行ったんです。だけど先輩が怖くて私には向いていないと思ったので(笑)、次に歌えるところということで軽音楽部に入りました。
― 軽音楽部が盛んな学校だったんですか?
おかもと いいえ。部員も少なくて1学年に 1〜2バンドくらいでした。でも、歌えるからやってみようと。最初は同じクラスの友達とバンドを組もうとしたんですけど、楽器を買うお金がなくて、みんな別の部活に入ってしまって。隣のクラスに誘いに行ったら、バンドをやりたい子が2人いたので、その2人とバンドを組んで軽音楽部に入りました。本当は歌だけをやりたかったんですけど、軽音楽部は絶対に楽器を持たなくてはいけなくて。他の2人はドラムとギターをやりたがっていたので、私はベースになりました。
― ベースあるあるですね(笑)。最初のライヴは?
おかもと 中1の時の文化祭ライヴですね。場所は音楽室でした。学祭だから友達のお兄ちゃんとか友達とか知らない人もいるわで…かなり緊張しました。でも、うちの学校って校則がかなり厳しい学校で、文化祭のステージが唯一私服を着られる場所だったので、それまでにない解放感を感じました。
文化祭のステージ写真
― 学校以外での演奏は?
おかもと 高校生になったら、新入生歓迎会や卒業生を送る会など講堂でライヴをする機会が増えました。でも、学校内だけじゃもの足りなくなってきて、高1の時に内緒でライヴハウスデビューをしたんです。
― 自然の成り行きですよね。
おかもと 当時、下北沢にライヴを観に行っていたので、やっぱり下北でライヴをやってみたいという気持ちがすごく強くて。学校のバンドでやったら怒られちゃうから、軽音楽部の先輩のギタリストと、違う学校の男の子とバンドをやろうという話になったんです。で、対バン形式のライヴに出させてもらったのがライヴハウスデビューでした。
― 校内でのライヴと何が違いましたか?
おかもと ライヴハウスだと、おだてて盛り上げる人が少ないんです。でも、本当にいいと思ったらみんな聴き入ってくれる。私たちの前に演奏したバンドを観ていたんですけど、目を引かないとオーディエンスが会話をし始めちゃうんですよ。そういう人たちに聴いてほしいなと思ったから、おしゃべりをさせないように頑張って歌いました。“見てほしい”っていう気持ちでやったのが違うところでしたね。文化祭は知り合いだから観るけど、ライヴハウスでのライヴは観させないといけない!っていう気持ちでした。
― プロへの道はどう切り開いていったのですか?
おかもと 大学に入ったタイミングで、ROCK’A’TRENCHというバンドの河原 真さん(Ba)にベースを習い始めたんです。真さんに“下北でライヴをやりたいんですけど、どうしたらよいですか?”って聞いたら“後輩のバンドがベースを募集してたからちょっと聞いてみる”って大学に通いながら深夜に練習をして、下北、渋谷、新宿を中心に月15本くらいライヴをやって。でも、最初の3カ月間はお客さんも2人とか5人でしたね。炊飯器を持ってツアーを廻ったり車中泊したり。車中泊は寒くて凍え死ぬんじゃないかと思ったり。いろいろあったんですけど、半年ぐらい経っていろんなお話をいただいて、その約1年後にビクターさんからデビューさせてもらえました。
― バンド内では紅一点だし車中泊だし…やめようとは思わなかったんですか?
おかもと 心が折れそうになる瞬間もありましたが…ベーシストでプロになるっていう約束があったので。
― 約束?
おかもと 15〜16歳でベースを習い始めた頃、安いベースセットを使っていたんです。でも、ちゃんとベースをやりたいなと思って。私はナガイケジョーさん(Scoobie Do)が好きで、ナガイケジョーさんと同じ色のベースを探したんですけど何かピンと来なくて。“じゃあ作っちゃおう”と思ってオーダーメイドでベースを作ったんです。それが30万円くらいしたんですけど、どうしても欲しくて親に買ってほしいとお願いしたんです。そうしたら“そのベースを買う代わりにプロになれよ”って言われて。その約束は絶対に守りたかったんです。あと、やるからにはパッとやめたくなかった。やめたいとかツライと思うことはあったけど、続けようという意志のほうが強かったですね。
― その意志はどこから来ていたんでしょうね。
おかもと ステージに立つ度にお客さんが増えていったり、渋谷CLUB QUATTROをソールドアウトできたり、くるりさんと対バンできたり…どんどんステップが上がっていく達成感が得られたんです。あと、いろんな人に届いているという嬉しさが、続けようという意志になりましたね。でもそれって、続けてきたからこそ感じられたことなんですよね。 フレンズというバンドも男の人とやっているんですけど、女の子でバンドを続ける人って少ないですよね。10代からガールズバンドをやっている子はいっぱいいると思うんですけど、途中からバンドに入る女の子ってなかなかいないんです。そもそも、結婚してバンドをやめちゃう子も多いし。でも、そこは意外にも両立できるんだよっていうことはわかってほしいですね。仕事をやっていてもバンドはできる。結局はやる気次第だと思うんです。
― 今、軽音楽部でバンドをやっている人たちもバンドや楽器を演奏する楽しさはわかっていると思うのですが、次の一歩を踏み出すためにはどうしたらいいと思いますか?
おかもと オリジナル曲を作るのが大きいと思っています。だから早い段階でオリジナルを作ってみると、“それをどうしたいんだ”という気持ちが生まれて次につながっていくと思うんです。オリジナルが音源化されてなかった場合、バンドがなくなったらライブも出来ないし、その曲を演奏する場がなくなってしまうので、その曲自体の存在が薄くなってしまうのが、なんかもったいないなって“そのオリジナル曲をどうしたいか”と考えると続く気がしますね。
― 確かにデビュー前のバンドの曲って、バンドが解散したら消えてしまいますよね。
おかもと そうなんです。そんなのもったいないですよ。レコーディングしてリリースするのはいいことなんですけど、ライヴでお客さんに聴かせて“いいじゃん!”ってなったら、やりたい気持ちがどんどん出てくると思うんです。だから、オリジナルを作ることはとても大事な気がします。ミュージシャンって自由だから大変なこともあるけど、無から何かを生み出すってクリエイティヴな人にしか味わえない感覚だと思うんです。
― 生みの苦しみもあるけど、生み出した時の喜びは格別だと。
おかもと はい。しかも音楽の場合、ダイレクトに目の前にいる何千、何万の人が踊ったり笑ったりしてくれるんです。これはもう、嬉しいというか、5億円のお米を食べた感じです。
― 例えが上手いのか下手なのかわからないですが(笑)。
おかもと ハハハ(笑)。つまり、ありえないくらいすごいってことです!
AMERICAN PERFORMER JAZZ BASS®
カリフォルニア州のコロナ工場で製造されるAmerican Performer Jazz Bassは、USA製フェンダーならではのオーセンティックなトーンとフィーリングを提供し、パフォーマンスにインスピレーションを与えるモダンスペックを随所にフィーチャーしています。
PROFILE
フレンズ
2015年6月、おかもとえみ(Vo)、ひろせひろせ(MC,Kb)、長島涼平(Ba)、三浦太郎(Gt)、SEKIGUCHI LOUIE(Dr)の5人で結成された自称“神泉系”バンド。2016年5月、東京THREEにて初のワンマンライヴを開催。2017年4月に初の全国流通盤となる1stアルバム「ベビー誕生!」をリリース。5月から対バンツアー「~ベビー誕生!リリース記念~フレンド申請ツアー2017」で全国10カ所を廻る。2017年9月、初の全国ワンマンツアー「シチュエーション・コメディ season2」を開催。同年11月に2枚目の全国流通盤となるプチアルバム「プチタウン」をリリースし、翌年1月にはそのリリース記念と称して、心斎橋BIG CAT と Zepp DiverCity Tokyoの2カ所にて開催するワンマンツアー「グランパーティー!」をソールドアウトし大盛況で終える。2018年3月、1stシングル「ベッドサイドミュージック ep」をリリース。4月14日、日比谷野外大音楽堂にて「フレンズのフレンズ大集合!〜日比谷野音でコラボ祭〜」を開催。10月より全国ツアー「シチュエーション・コメディ season3」を開催。2019年1月より東京、大阪、名古屋を廻る「新春ワンマンライブ2019」を開催。
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