Cover Artist | flumpool -前編-
バンドじゃなかったら復帰も絶対にしようとは思わなかった
2017年12月、人気絶頂の最中、山村隆太(Vo)の歌唱時機能性発声障害により活動休止を発表したflumpool。2019年1月には地元・大阪でゲリラライヴを行い、活動再開を発表。活動休止中に己と向き合い、“バンドの成長を4人で喜び合えることにバンドの良さを感じる”と話す山村隆太の表情は、とても晴れやかだ。そんな彼らが、5月20日にニューアルバム「Real」をリリース。前編では、活動休止期間中の4人の思い、そして「Real」にまつわる話を聞いた。
― いよいよ5月20日にアルバム「Real」が発売になりますね。2017年12月の山村さんの機能性発声障害による活動休止宣言、昨年の再始動を経てのリリースとなりますが、活動休止を決めた時はどんな気持ちだったのでしょうか?
山村隆太(以下:山村) 機能性発声障害に関しては3年くらい引きずっていて、急に悪くなった感じじゃなくてジワジワだったので、メンバーもみんな気付いてるし“どう誤魔化すか”っていう時だったんです。ただ、ある程度克服はできるというか、克服しなきゃみたいな気持ちでやってたけど、その糸が切れちゃったんです。で、もう無理ですみたいな。ちょっと心が折れてしまったのが発表の日でしたね。
― 喉の限界というより心が折れたと。
山村 ええ、心が完全に折れちゃったんですよね。もう無理だと。
― 阪井さんはそれを聞いてどうでしたか?
阪井一生(以下:阪井) 3年間誤魔化しながらやってきたところがあって、それに対して僕も色々と言ってはいたんですよ。隆太もボイトレとかやってて、確かに休止前の最後のライヴは声は出なかったけど、ここで休止したら逆にめちゃくちゃハードルが上がるなと思ったんですよね。治るまでというか…治る治らないの問題ではないような気もして。休止して復活…あれ?無理ちゃう?みたいな。正直、もう終わったと思いましたね。
― flumpoolはもう終わったと?
阪井 ええ。で、僕はすぐに次の仕事を探しました(笑)。真っ先に。誰よりも早く!
山村 危機管理、早いなぁ(笑)。
阪井 次の日にはもうその話をしてたからね。
山村 本当にいい仲間を持ちました(笑)。
― (笑)。休止後はどんな風な時間を過ごしていたんですか?
阪井 もともとは3カ月くらい声を出さなかったら治るという話だったんですよ。今までゆっくりできる時間もなかったので、逆にやりたいことに挑戦してみようと。僕は曲作りの時間に当てて、ベースの尼川は違うユニットを組むとか、そういう時間でしたね。
― ミュージシャンとしてバンドに縛られない活動をやっていこうと。
阪井 そうですね。他でレベルアップしてまた会いましょうみたいな。『ONE PIECE』スタイルですね。
― (笑)。隆太さんは?
山村 3カ月は歌ったら駄目だということだったので、ギターも弾かず音楽から離れていました。『ウォーキング・デッド』を観たり、実家に帰ったり、これまでできなかったことをやっていましたね。
阪井 3カ月で治るっていう話やったんで期待はしていたし、実際に3カ月後にみんなでリハーサルに入ろうという話もしていたんです。で、3カ月後になって…すぐにまた仕事を探しました(笑)。
山村 ハハハハ。マジでいい仲間でしょ(笑)?
阪井 3カ月間、声も出していないのもあったと思うんですけど、何なら悪化した感じやったんですよ。
山村 そうだね。治らなかったですね、まったく。
― その時は流石に絶望的な気持ちに?
山村 なりましたね。休んでも治らない、歌っていても治らないんだから、その時はもう“壊れた”っていう感覚になりましたね。音楽自体を辞めなきゃって。辞めて何しようかなって思いましたから。
― そこまで考えたんですね。
山村 ええ。もともと教師を目指していたので、教員免許はあるし、実家に帰って教師になろうかなとか。でも、世の中のことを何も知らないのに教師とかできるわけがない。そういう意味で、自分って何もないなと思っちゃいましたね。音楽しかやってこなかったので。音楽の他に何かできるような人間じゃないと、リアルに思い知らされました。
― いつから改善に向かったのですか?
山村 半年後くらいに、同じ発声障害を克服された方と運命的に出会ったんです。その人と出会って糸口が見えたんです。ポリープとか外傷的なものもないので、明されていない病気だと思っていたんですよ。それか、何かに取り憑かれたか(笑)。
阪井 もうそこまで考えるよなぁ。
山村 悪さしたかな?謝りに行かなアカンかな?って(笑)。そう考えるくらい原因不明だったんです。でも、その人はちゃんと原因を解明した人だったので、原因と治す理屈を教えてもらって“絶対に治る”と思いました。
山村 その少しあとに隆太に会ったんですけど、確かに劇的に変わったんですよ。実は、1カ月に1回くらいはリハーサルには入っていたんです。ただ、あまり良くない状態が続いたんですけど、ある日“あれ?キテるね!良くなってる!”っていう日があって。
山村 それが何とデビュー日の前日…。
阪井 え?
山村 デビュー日の前日やったんで。俺覚えてるもん。運命って思った。9月30日。
― 隆太さん的に完全復活の手応えを感じた時は?
山村 “これでいける!”っていうのはライヴをやってみないとわからないところもあって。“この曲できへん”っていう制限がなくなったのは去年末の大阪城ホールでしたね。それまで、キーの高い曲は正直不安でした。そういう不安が一切なくなったのが大阪城ホールですね。
阪井 ホンマに最近の話やね(笑)。
山村 そうやなぁ。それくらい見切り発車でリスタートしたんです(笑)。
― 復帰して何か変わりましたか?
山村 今までは俺もバンドも100点を出そうとしていたんですよ。そうじゃなくて、1点ずつの加点方式じゃないですけど、“今日は60点!”っていうのを見てもらったほうが、メンバーとリハーサルをやっている時にラクやったんです。次の日にスタジオに入った時に、1点でもプラスできたら“良くなったやん”って言ってくれるのが嬉しかった。100点を見られたらそれ以上はないから、ちょっとプレッシャーに感じるじゃないですか。加点方式で1点ずつプラスしていくのが今の僕らのスタイルだし、そういう楽しみ方に変わりましたね。
― 完璧を目指すんじゃなくて、ドキュメントじゃないけど、その日の自分たちを見てもらおうと。
山村 そうですね。死ぬまでにずっとベストを更新していけたほうが、生きていてオモロイなって。まあ、バンドならではかもしれないですけどね。
― 確かに。
山村 原因もわかったし、乗り越えたし、もう声について心配はないんですけど、もしかしたらまた明日声が出なくなるかもしれないって。だからこそ、今を楽しむほうが大事だと思えるんです。無駄にやってる暇はないんで、楽しいことを追求するべきだなって。先を思うよりも、今ですよね。今を大切にしなきゃって思います。
― そんな気持ちの表れなんですか? アルバムタイトルの「Real」は。
山村 まさに! 飾らずに等身大でいたいっていう気持ちですね。
― アルバム「Real」を制作するにあたり今までと変わったことは?
阪井 今回のアルバムは、今自分が書きたい曲をどんどん書いていきました。前作は1曲1曲にテーマがあって、そのテーマに沿って作っていくスタイルやったんですけど、今回はまさに“リアル”というか今書きたいと思っている曲をどんどん書いて、アルバムに入れていくスタイルがリアルやなと思います。
― 出てきた曲も違いましたか?
阪井 そうですね。正直、“これライヴでどう演奏するねん”みたいな曲もいっぱいあるんですよ。ほぼ打ち込みで、ギターしか生で弾いていないような曲もあるし。そういう意味では、新しいものがどんどん出来上がったし、とにかく楽しんでやれましたね。隆太も珍しく曲を書いていますからね。
山村 色々と挑戦したかったんですよ。2曲目の「NEW DAY DREAMER」と8曲目の「勲章」の2曲を書いているんですけど…活動休止で声が出なくてもう辞めようと思った時に、“もしやれるならこういう曲をやりたいな”と思い描いていた曲があったんです。それをカタチにしたくて。あと、(阪井)一生はどんどん他のアーティストにも曲を書いていたし、(尼川)元気は新しいユニットを組んですごく成長していて、負けたくないなという気持ちもあって。その2つが曲を書く気持ちの軸でした。
― どんな曲ですか?
山村 「NEW DAY DREAMER」の舞台は、僕らが地元から上京した12年前の2008年7月1日。夜行バスで新宿に来て、その日の一歩目を思い出しながら、当時の自分に手紙を書くような、これまで歩いてきた道を思うような、再スタートの歌にしたいなという想いで書いた曲です。
― アルバムの全曲を聴くのが今から楽しみですが、バンドの結束力、グルーヴ感は活休を経てどうなりましたか?
阪井 この休止を経て、仲良くはなりましたね(笑)。今一番いい状態じゃないですかね、僕たち的にも。
山村 “バンドたるもの”みたいなものは今一番感じますね。シンガーソングライターの人には結成日はないけど、バンドには結成日がある。僕らの結成日は1月13日なんですけど、去年の1月13日に復帰ゲリラライヴをしたんです。“結成”ということを意外とないがしろにして、4人ともそういうことをあまり考えてこなかったんです。でも今は、1人が1点ずつ増やしていくのではなく、4人で1点増えたことを喜び合えることにバンドの良さを感じるんです。そういう意味では、この4人だからこそできるものがあるし、1人じゃきっと喜びもそんなにないやろうし。復帰してから、自分にはバンドが向いてるんだなと感じることが多いですね。
― 逆にバンドではなかったら引退していたかもしれない?
山村 そうですね。絶対にやっていなかったですね。バンドじゃなかったら復帰も絶対にしようとは思わなかった。メンバーがいない1人は無理ですし、ギターがなくてもダメだったと思います。バンドをやっていて良かったです。
› 後編に続く
flumpool 愛用機材
山村(左):CLASSIC SERIES ’60S TELECASTER OLYMPIC WHITE
阪井(右):2017 LIMITED 1957 STRATOCASTER HEAVY RELIC LAKE PLACID BLUE OVER PINK PAISLEY
PROFILE
flumpool
2007年1月、山村隆太(Vo)・阪井一生(Gt)・尼川元気(Ba)の3人でのアコギユニットを経て、知人の紹介で出会った小倉誠司(Dr)が加入し、flumpoolを結成。2008年10月1日リリースのデビューDOWNLOADシングル『花になれ』がau「LISMO!」CMソングに抜擢され、10日間で100万DLを突破するなど大きな話題となり、デビュータイミングにその名を全国に響き渡らせる。2009年からは3年連続で紅白歌合戦出場を果たし、名実ともに輝かしい活動を続ける中、2017年山村隆太が「歌唱時機能性発声障害」であることが判明し、治療に専念するため、12月5日より活動休止。
以降休止期間を経て、2019年1月、バンド結成日である1月13日に、大阪・天王寺公園にてゲリラライヴを実施、活動再開を発表。2020年1月8日にはテレビ東京系アニメ「あひるの空」オープニングテーマ『ネバーマインド』、1月9日には日本テレビ系水曜ドラマ「知らなくていいコト」の主題歌『素晴らしき嘘』配信リリース。4月2日にはTOKYO MXでスタートするテレビアニメ「かくしごと」オープニングテーマ『ちいさな日々』を放送開始当日にニューアルバムから先行配信。そして、4年ぶり待望のニューアルバム「Real」は5月20日リリース。そのアルバムを引っ提げて7月から12月まで29都道府県36公演を回る全国ツアー[flumpool 10th tour 2020]を開催する。
› Website:https://www.flumpool.jp