
Cover Artist | 山下達郎 -前編-
テレキャスターを使いはじめたのは、安かったから
2025年、シュガー・ベイブのメンバーとしてのデビューから50周年を迎えた山下達郎は、日本を代表するシンガーソングライターであり、世界中でブームとなっているシティポップの立役者として海外からも熱視線が向けられている。そして同時に素晴らしいギタリストでもあり、特にそのカッティングは彼の曲にとって、なくてはならないものだ。 今回、その山下達郎に、“ギター”をテーマにインタビューできる貴重な機会が設けられた。前編では、ギターを始めたきっかけや、長年の愛器であるブラウンの1978年製テレキャスターなどについて興味深い話を伺った。
カッティング一筋、50年です
──達郎さんは今年(2025年)も大活躍されましたが、特に7月に〈FUJI ROCK FESTIVAL〉に出演されたことが、大きなニュースになりました。
山下達郎(以下:山下) ずっと断ってたんですけどね。実は、私はFUJI ROCKが何かもまったく知らなくて(笑)。だけど、お客さんに圧倒されました。あんなに人が入ってるのは見たことがなかったです。演奏の出来は80点ぐらいでしたけど(笑)。
──いえもう、あのステージは、多くの人が泣いてしまうほど感動的でした。さて本日は、“達郎さんとギター”というフェンダーならではのテーマでお話を伺いたいと思います。もともとドラムをやっていた達郎さんが、ギターを始めるきっかけは何だったんでしょうか?
山下 中学校のブラスバンドでドラムをやっていたんですが、ギターにも興味がわいてきて、お年玉でガットギター買って、それを遊びでいじっていたんですよ。アマチュアバンドでもずっとドラムでしたけど、シュガー・ベイブを始める時に、ドラムでリードボーカルじゃかっこ悪いかなと思って(笑)、ギターを弾くようになりました。だから、それまでやっていた、たとえばベンチャーズの曲などは、ドラムは全部覚えてますけど、コードはあまり知りません(笑)。もちろんリードも弾けないし。だから、ギターを弾くことになって、どうしようかなと思ったんですけど、カッティングなら何とかなるかなとは思っていましたね。
──どういうギタリストを聴いて練習されたのですか?
山下 高校の時からとにかくR&Bが好きだったので、ジェームス・ブラウンのバンドのジミー・ノーレンやキャットフィッシュ・コリンズ、もっとも当時は誰が弾いてるかなんて知るすべも無かったけど。あとは、何と言ってもMG’sのスティーヴ・クロッパー、一番聴いたのはそのあたりですね。クロッパーは、「Melting Pot」(MG’s)のカッティングとかを練習しました。
──最初からもうカッティングで行こうということだったんですね。
山下 そうです。カッティング一筋、50年です(笑)。
──とはいえ、例えばビーチ・ボーイズにもカール・ウィルソンの素晴らしいギターソロが入った「カールズ・ビッグ・チャンス」などがありますし、リードプレイにも耳を傾けたんじゃないでしょうか?
山下 もちろん耳は行きましたよ。クロッパーみたいなスローハンドのプレイは真似できなくはないですけどね。そういう部分で僕が影響を受けているのは、ほとんどアメリカ南部の人で、エディ・ヒントンとかジミー・ジョンソンとか。一番好きなのはレジー・ヤングという人です。メンフィスのスタジオミュージシャンで、素晴らしいプレイヤーでしたが、数年前に亡くなってしまいました。僕が20代で一番勉強したのはこの人かな。あとは、ニューヨークでスタッフのメンバーになって活躍したコーネル・デュプリーとか。
──テレキャスターは、そのあたりの人たちの影響で使うようになったんですね?
山下 そうです。でも何より、テレキャスは安かったから(笑)。高校の時、楽器店に飾ってあった他社製のギターが32万で、テレキャスは17万だったんですよ。それだって、当時のサラリーマンの初任給が5万かそこいらの時代でしたから、学生にはとても手が届かなかった。シュガー・ベイブを始めた時は日本製のギターにアメリカ製のピックアップを付けて使ってたんですけど、テレキャスが欲しくて、伊藤銀次が持ってたやつを譲ってもらいました。色を剥がしてあって、(ビグスビーの)ビブラートが付いてるやつでしたね。そのあと、『CIRCUS TOWN』(1976年)のレコーディングでニューヨークへ行った時に、600ドルぐらいのテレキャスターを買って帰ってきたんですよ。それをしばらく使ってたんですけど、水浸しになっちゃってね(笑)。
──え、水浸しですか!?
山下 マネージャーが車のトランクにそのテレキャスを置いてたんですけど、雨が降ってきて、トランクが雨漏りしてたんです。その時、不幸にして仕事が1週間ぐらいオフで。だから、トランクを開けた時にはギターが水浸しになってた(笑)。そのあと少しお金ができたので、やはりニューヨークで2000ドルぐらいのテレキャスを買いました。でもこれも、スタジオに置いてたら盗難に遭って。仕方ないので、しばらくはバンドメンバーのテレキャスを借りて、『RIDE ON TIME』(1980年)のレコーディングはそれで演奏してました。今使っている茶色のやつは、ちょうどそのころに購入してサブギターで使ってたんですけど、同じころに、ギターのメンテナンスをやってくれるやつと知り合って、ナットとかブリッジをいじってもらったら、ものすごく良くなってね。いきなり鳴りだしたんですよ。僕と一緒にやってる伊藤広規のジャズベースも同じで、手を入れてもらったらすごく良くなった。それで、あいつも1981年に手に入れたジャズベを今でも使ってるんです。だから、いまライブで「SPARKLE」(1982年『FOR YOU』に収録)をやっても、当時と同じ音がする。二人とも当時と同じ楽器なので(笑)。

Guitar:American Professional Classic Telecaster
「SPARKLE」のギターはライン録り
──茶色のテレキャスターは、1980年にお友達から5万円で買われたそうですね。
山下 そうです。でも今ではもう、残ってるのは木だけなんですよ。ペグからピックアップから、全部取り換えています。でも、音は当時とまったく変わらないんです。フレットなんて、数限りなく替えてますよ(笑)。それは、ヘタるから替えるということで、音を変えたいからというわけではなくてね。
──このギターは入手された時点では、改造などのないオリジナルの状態だったんでしょうか?
山下 そうです。1978年製で、当時新品で買ったやつをそのままの状態で売ってもらったんです。この色は珍しいんですけど、最初からこの色ですね。あと、重いんですよ。こんな重いテレキャス、他に知らないですね。それと、指板のR(ラディアス)が緩い(指板がフラットに近い)んですよね。
──スタジオレコーディングでは、このテレキャスターをどのように鳴らして録っているのですか?
山下 ライン直で録っています。
──ライン直なんですか?!
山下 ずっとそうです。「SPARKLE」なんかは、DI(ダイレクトボックス)を通してるだけで、卓直(ミキシングコンソールに直接接続)とEQ(イコライザー)のみです。
──驚きました! 「SPARKLE」のカッティングの、あのテレキャスの素晴らしいクリーンサウンドをどうやって録ったのかというのをお聞きしたかったので…。
山下 卓自体の能率も良かったし、それになんと言ってもアナログレコーディングですしね。それと、これは六本木のソニーのスタジオ(CBS・ソニー六本木スタジオ)で録ったんですけど、DIがスタジオの自家製で、音抜けが良かったんですよ。
──「SPARKLE」は、このテレキャスの良いところを出したくて作った曲ということですから、まさに狙いどおりになりましたね。
山下 いやいや、それは結果論(笑)。ただ、テレキャスのセンターポジション特有の感じがあるじゃないですか、シャリーンという。あの音が好きで、それを出したかったということはありますね。モータウンの曲にも出てくるし、クロッパーもああいう音を出している時期があったし。シュガー・ベイブの時からそういう音は志向していましたけど、アンプのセッティングが分からなくて、できなかった。僕はギタリストじゃないんでね(笑)。
──いやいや、ギタリストじゃないですか(笑)。
山下 それが卓直だと分かりやすかったんですよね。当時はEQもいじれるポイントが少なかったから、いつも決まったEQセッティングになる。そうするとああいう音になるんですよね。シンプルこの上ない(笑)。
──そうだったんですね。
山下 当時はライブツアーもまだそんなに大規模にできる状況じゃなかったので、4トン車1台に楽器とPAを詰め込んで回ってたんです。でもその規模だと、例えば北海道厚生年金会館ぐらいの会場になると、PAのウーファーが片側4発では2階まで音が届かないんですよ。それで、メンバーの中に電気に強いやつがいたので、そいつを中心にみんなでミーティングして、じゃあラインで全部出そうか、ってなって。ドラムとピアノ以外は全部ラインで出すようにしたんです。その時代のモニターマンがとても優秀だったので、音は全部転がし(床に置くモニタースピーカー)でモニターして。そうすると、PA自体が巨大なステレオセットと化すので、音量をかせげたんです。
──今ではライブでラインで出すやり方も増えてきましたが、当時そんなことをやっている人はいなかったですよね?
山下 いないですよ、だって苦肉の策ですもの(笑)。大きな事務所だったら10トン車に機材をたっぷり積んで行けたでしょうけど、貧乏事務所な上に、まだライブの動員もそれほどじゃなかったから。だけど、その方式でけっこう良い音が出たんで、スタジオでもラインで出したらどうなるのかなって、そういうところから来ているんです。
>> 後編に続く(近日公開)
山下達郎
1975年、シュガー・ベイブとしてシングル「DOWNTOWN」、アルバム『ソングス』でデビュー。翌年1976年にアルバム『CIRCUS TOWN』でソロデビュー。1980年発表の「RIDE ON TIME」が大ヒットとなり、ブレイクを果たす。アルバム『MELODIES』(1983年)に収められた「クリスマス・イブ」が、1989年にオリコンチャートで1位を記録。30年以上にわたってチャートイン。日本で唯一のクリスマススタンダードナンバーとなる。
1984年以降、竹内まりや全作品のアレンジ及びプロデュースを手懸け、また、CMタイアップ楽曲の制作や、他アーティストへの楽曲提供など、幅広い活動を続けている。
2012年には、今までの全キャリアを網羅した3枚組ベストアルバム『オーパス ALL TIME BEST 1975-2012』が発売される。2015年、シュガー・ベイブ『ソングス 40TH ANNIVERSARY ULTIMATE EDITION』を発表。オリジナルマスター、ニューリミックス、ボーナストラックと、文字通りの究極盤となった。
2016年3月、「クリスマス・イブ」が、「日本のシングルチャートに連続でチャートインした最多年数の曲」としてギネス世界記録に認定される。2022年6月22日、11年ぶりのオリジナルアルバム『ソフトリー』発表。2023年、RCA/AIRイヤーズのカタログ全8アイテムをアナログLPで再発。シュガー・ベイブのメンバーとしてのデビューから50周年を迎えた2025年は、〈FUJI ROCK FESTIVAL ’25〉への初出場が話題となった。
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