Cover Artist | OKAMOTO’S -前編-

フェンダーは今も楽器の最前線だし、ビギナーから玄人まで魅了している

無尽蔵のエネルギーで強烈なグルーヴを打ち鳴らすロックバンドOKAMOTO’Sが、メンバー全員でローンチしたばかりの新シリーズ「Vintera II」を持って改めてFenderNewsのCover Artistに登場。インタビュー前編では楽器を始めたきっかけ、フェンダーというブランドについて、4人で会話をするように応えていたのが印象的だった。

家やリハスタでどれだけ練習しても、本番は別なんです

──まずは、楽器を始めたきっかけから教えてください。

オカモトショウ(以下:ショウ) 最初はドラムだったんです。昔のジャズドラマーに憧れてドラムをやりたいなと思って、中学校で軽音楽部に入りました。でも軽音楽部には電子ドラムしかなかったので、ドラマーになる夢が遠のいたんですけど、その軽音学部にはコウキもいて、コウキと二人でザ・ローリング・ストーンズの「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」を一年間演奏し続けました。

──その後、ヴォーカルに転向したきっかけは?

ショウ 歌がないと文化祭で盛り上がらないだろうという話になって。でも、うちの部活にはヴォーカリストが一人もいなくて、全員楽器をやりたい人たちで。それだとどうやら盛り上がりに欠けて人気のない人たちに思われるから、ヴォーカルを入れようということになって。メンバーそれぞれが、それぞれのバンドで歌を歌うための交換条件として別のバンドで歌ったり。その時にできたバンドの中の一つがOKAMOTO’Sで、結果、OKAMOTO’Sが長く残りました。

──レイジさんがドラムを始めたきっかけは?

オカモトレイジ(以下:レイジ) 俺もドラムなんか本当にやりたくなかったんです(笑)。音楽を始めたのが結構遅くて中3ぐらいだったんですけど、OKAMOTO’Sの他のみんなは一足早く中1〜2くらいから。うちの学校にジャムセッション研究同好会、通称“ジャム研”と呼ばれる部活があって、放課後はみんなその部室をアジトにしているわけですよ。でも自分はずっと卓球部だったので、仲間外れにされちゃってその部屋には入れない。この部屋に入りたいんだったらジャム研の部員になれって。それで嫌々部員になったけど、マジで一年間はまったく楽器演奏をしなかったんです。“もういい加減何かやって?”と、部長のオカモトコウキさんに怒られ続けて嫌々始めました。

──なぜドラムを選んだのですか?

レイジ その時によく遊んでいたのがショウさんだったんです。ショウさんがドラムをやっていたから、ショウさんにドラムを習うという。放課後、二人でスタジオに行って、1〜2時間借りて交代で叩いていました。

ショウ 仲が良いんだったら、一緒にバンドを組めるように別のパートにすればいいのにね。まぁ、ツインドラムっていう設定はあるけど、予算的に中学生でツインドラムはないから無理でしょうね。

レイジ まぁ、そんなスタートでした(笑)。

──キーパーソンはある意味コウキさんだったんですね。そもそもギターはいつから始めたんですか?

オカモトコウキ(以下:コウキ) 僕も同じで、中学校で軽音部に入ったタイミングです。ピアノはもともとやっていたので、文科系の部活に入りたいなと思っていて。学校のオリエンテーションでジャムセッション研究部の紹介があって、その時にショウさんが質問をしていたから、“もしかしたら彼もジャムセッション研究部に入るかもしれない”と思って。それで図書室に行ったらたまたまショウさんがいて恐竜の本を読んでいたから(笑)、“ジャム研に入るの?”と話しかけて。“じゃあ一緒に行こうよ”みたいな感じで一緒に見学に行きましたね。

──ハマさんは?

ハマ・オカモト(以下:ハマ) 僕は初めて話した言葉が“ニューオーリンズ”で、生まれてから7歳まで陽の入らない部屋でトレーニングをさせられて…って、この質問に答えるのは何百回目なんだろうと思って(笑)。

──そうですよ。フェンダーのインタビューだけでも20回くらいは聞いています(笑)。

ハマ だから平気で嘘をつこうかなって、今すごく思っています(笑)。あるいはウィキぺディアを読んでくれって(笑)。本当はみんなと一緒です。ジャム研です。僕は中2ですけどね。

レイジ たしかコウキが“ベースがいないからやったら?”って。

ハマ そうそう、ベースがいなかったんですよ。消去法だったんです。どの世代にベースを始めたきっかけを聞いても、みんな同じこと言うんです。ベーシストって一生こうなんだろうなって感じです。

──それが最近の若いバンドマンだと、意外と自らベースを選ぶ人が増えてきているんです。ハマさんの影響もあるんだと思います。

ハマ それを鵜呑みにするならば、今はそうなのかなぁ…。

──初心者時代の練習方法は?

ショウ リハスタに入るよりもライヴをいっぱいやりましたね。

ハマ 今みたいに再生スピードやキーを落としてコピーできないですし、YouTubeで映像を見て練習もできないし、教則ビデオも買えなかったし。

──なるほど。バンドを始めた初期はとにかくライヴをしていたと。

コウキ ライヴで練習する感覚ですね。

──ブッキングはどうしていたのですか?

ショウ ノルマなしで出られるライヴハウスを探して、よくしてくれる人によくしてもらって…。週3は出ていたよね?

レイジ 年間100本はやっていたよ。

ショウ 別に俺たちのお客さんはいないんだけどね。

レイジ そのペースを丸2年はやっていたんじゃないかな?

──それはすごいですね。

ショウ 本番をやるのがめちゃくちゃ大事だと思っていて。家やリハスタでどれだけ練習しても、本番は別なんですよ。

いざ買うとなったら結局はフェンダーを選びます

──フェンダーに出会ったタイミングは?

ショウ 最初に買った楽器が全員フェンダーでした。そこは時代の流れもあって。もちろん、そんなに安い買い物じゃないですけど…。

ショウ だけど手が届く範囲で、お母さんやお父さんに泣きつけば買える…。

コウキ 価格でいうと3〜4万円くらいだったと思うなぁ。ビギナー向けの機種が出てきたんですよね。

ショウ その中でも圧倒的にクオリティが高いのがフェンダーでしたね。

ハマ 本当に周りもフェンダーばかりでした。むしろ他のメーカーを知らないぐらい。

コウキ ハマくんが最初に買ったベースってまだある?

ハマ あるよ。サンバーストのJazz Bass®︎。

──コウキさんは最初に何を買ったんですか?

コウキ サンバーストのStratocaster®︎を買いました。3〜4万円くらいです。まだ持っています。

──あらためてフェンダーの魅力を教えてください。

コウキ とにかく頑丈ですよね、キース・リチャーズも言ってたけど。

ショウ キース・リチャーズが言うなら間違いない。俺の父親は50’sのアメリカに生まれてバンドをやっていたんですけど、最初にバンドを組む時のベーシストを入れる条件が“フェンダーのベースを持っているヤツ”っていう。プレイがどうこうじゃなくて、ちゃんとした音が出るのはフェンダーだけだから、“フェンダーベースを持っているヤツを探せ”ってみんなで探したって。60年代初期のアメリカ人がすでにそう思っていたところから、今も楽器の最前線だし、ビギナーから玄人まで魅了しているし。

ハマ この間、稲垣吾郎さんとやっているラジオ『THE TRAD』で楽器を持っていったんです。そうしたら稲垣さんが、楽器のことは何も知らないけど“ベースと言ったらこの形だよね”ってプレベを指差したんです。その時はジャズベもあったんだけど、プレベのイメージがあると言ってて。漠然としたエレキ楽器の形の代表なんですよね。楽器のことを何も知らない人でも知っているレベルなんです。でも、ショウさんが言ったことがすべてですよね。アマからプロまで魅了している。

ショウ 普通にすごいと思う。しかも今の時代まで。

ハマ フェンダーは今年創立77年で、ここまで続いているのは本当にすごい。よく楽器を育てるとか、育て甲斐があると言うけれど、楽器を使っていない人からしたら“へぇ”って話じゃないですか。すごく衝撃だったのが、一回も弾いていないような62年製のPrecision Bass®︎が知り合いの楽器屋から出てきて。“とにかく笑っちゃうから弾きに来てくれ”と言われて弾きに行ったら、最近の新品とまったく同じ音がしたんです。すごくないですか? だからヴィンテージって“人が弾いたらああいう音になる”だけなんですよ。70年も前から、ほぼ同じ規格で作っていたことが逆に証明されたわけですけど。

レイジ 62年製のプレベ?

ハマ うん。まったく弾かれていない、説明書とかが付いているやつ。当時アメリカで、子供が生まれたらエレキ楽器を買ってあげて、ずっと納屋とかで保管しておいて、20歳になったらいろいろな思い出と一緒にプレゼントするっていう習わしがあったんですって。“同い年のギターだよ”みたいな感じで。それがとっくに忘れられて、誰も弾いていない状態で出てくる。最近はないでしょうけど。中古楽器市場で“タイムマシーン”と言われているやつです。でも弾いていないとヴィンテージの音ではない。弾いて育てるものなんだと痛感したんですよ。そういうことをやり続けているメーカーですよね、フェンダーは。実際に現行品で買ったモデルがすごく良く鳴るので、そういうところが他社にはないのだと思います。

──ドラマーのレイジさんから見たフェンダーの魅力は?

レイジ 見れば見るほど不思議なシルエットだと思いますね。いつ見ても新鮮というか、見ていて飽きないのが不思議だなと思って。

──造形物として?

レイジ はい。俺、定番って全然興味がないタイプなんですよ。だけど、自分でお金を払って買う楽器はフェンダーばかりなんですよ。本当はビザールとか超ヘンな楽器が好きなはずなのに、いざ買うとなったら結局はフェンダーのベースとギターを選びます。

──フェンダーの楽器は何本持っていますか?

レイジ 4本くらいで、デモ作りの時に弾いたりベースを弾いたりもします。普通にバリバリ使っているので、フェンダーのインタビューに出られて密かに嬉しいんです。

Vintera II 60s Stratocaster | Vintera II 60s Telecaster | Vintera II 70s Jaguar | Vintera II 60s Precision Bass

>> 後編に続く(近日公開)


OKAMOTO’S
Vocal/オカモトショウ、Guitar/オカモトコウキ、Bass/ハマ・オカモト、Drums/オカモトレイジ
中学からの同級生4人によって結成。東京都出身。
世界に通用するアーティスト、岡本太郎から名前を拝借し、Ramones形式で全員が「オカモト」姓を名乗る。音楽性はロックを中心に多岐にわたり、各年代の音楽の旨みを90年代生まれの新しい感性で抽出、解釈し表現している。各メンバーが独自の活動を行っていることも特徴的であり、その活動は各自のソロでの音楽活動、ラジオDJや番組MC、他アーティストのサポートなど、多岐にわたる。
2010年5月、アルバム「10’S」をリリース。これまでに、アルバム9枚、シングル10枚をリリース。初期は性急で衝動的な作風のアルバムを1年に3枚のペースでリリース、また近年ではアルバム一枚が一つのストーリーとして構成された「OPERA」、海外レコーディングも敢行した「NO MORE MUSIC」、デビュー10周年イヤーを迎え、新境地かつ原点に立ち返った「BOY」などコンセプチュアルかつ独自性のあるアルバムを多数発表。
国内のロックフェスや各地のライブハウスで数多く公演を行う生粋のライブバンドでもあり、アルバム発表ごとに日本各地でツアーを行う。また企画性を持って行われるホール公演「90’S TOKYO BOYS IN HALL」も時折行われ、スペシャルなイベントとして人気を博している。
2016年には全都道府県ツアーを、また2020年には10周年を掲げ、初の日本武道館公演も成功させた。また、2010年3月、アメリカ・テキサス州オースティンで開催されたSXSW2010に日本人男子として出演したことを皮切りに、オーストラリア、ベトナム、台湾、韓国、中国など、日本国外でもライブを多数行っている。
2023年は、アニメ「Dr.STONE」エンディングテーマ曲「Where Do We Go?」をリリース。また、関ジャニ∞や菅田将暉、DISH//など様々なアーティストのプロデュースや楽曲提供、映画やドラマの劇伴制作、個々のプロデュースワークや、DJ活動なども行っている。その活動の勢いは止まることを知らない。
http://www.okamotos.net

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