Holiday Special Interview | Char × アンディ・ムーニー -1-

Holiday Special Interview

ホリデーシーズンを迎えた我々フェンダーミュージックに、サプライズともいえる超ビッグなクリスマスプレゼントが届いた。フェンダーブランドをグローバルに統括するフェンダー ミュージカル インスツルメンツ コーポレーションCEOのアンディ・ムーニー氏と、日本を代表するギタリストであり、自他共に認めるフェンダー・ラバーでもあるChar氏とのトークセッションが実現したのだ。ナビゲーターはブロードキャスターのピーター・バラカン氏。ともに1955年生まれ・62歳であるアンディ&Char両氏が、音楽との出合い・キャリアの歩み・そして音楽の未来について語り尽くすスペシャル対談を全3回でお届けする。音楽の世界が前に進むためのヒントがたくさん詰まった本セッション、ギタープレイヤーや音楽関係者はもちろん、プレイヤーに憧れる人もぜひ五感を研ぎ澄まして、彼らの熱きグルーヴを共に体感してほしい。

ISSUE 1: HEROES MET THE SOUND(音あるいは音楽との出会い、そして歩み)

 

ピーター・バラカン(以下:ピーター)   生まれて初めて“サウンド(音)”を意識したのはいつですか?

アンディ・ムーニー(以下:アンディ)   父の弾くピアノです。炭鉱夫でしたが、毎晩仕事から帰って着替えるとすぐにピアノへ向かっていました。きっとそれが彼の心の安らぎだったのでしょう。

ピーター   ほう、どんな曲を?

アンディ   クラシックがほとんどです。私には叔父がいて、曲を聴いただけですぐにピアノを弾ける優れた才能を持った人でしたが、私の父は、ひとつの曲を弾けるようになるために何度も練習を重ねる努力の人でした。私は天才肌の叔父でなく、完全に父に似ましたね(笑)。ですが、父の得意な曲を繰り返し耳にしていたことが、私の感性を育んでくれたのだと思います。

ピーター   Charさんはいかがですか? どんな音でも結構です。

Char   赤ん坊の泣き声ですかね…僕の母は医者で、耳鼻咽喉科を開業していました。子どもの頃は、診療所へやってくる赤ん坊の泣き声で毎朝起こされていました。そりゃもう嫌がらせのように(笑)。

ピーター   当時のブルーな気持ちは忘れましょう(笑)。

Char   音楽的な“音”という意味では、父がいつも枕もとにトランジスタラジオを置いて、FEN(現American Forces Network=在日米軍向けラジオ局)を聴いており、とても興味を持ちました。

ピーター   ずいぶん小さな頃から欧米の音楽を聴いて育ったんですね。

Char   そうですね。父は1950年代の映画音楽とか、カントリー・ミュージックとか、家のステレオでいつも音楽を聴いていました…映画『第三の男』のテーマとかね。

ピーター   50年代に家にステレオがあったんですか!? すごいですね!

Char   母が医者でしたからね(一同爆笑)。そんな感じで、テレビではなく、いつも音楽に囲まれた環境で育ちました。でも、父にとってもラジオは宝物だったのでしょう。「子どもたちは絶対にラジオに触ってはいけない。考えることすらダメ!」ときつく申し渡されていましたね(笑)。

ピーター   アンディさんは幼いころ、家でレコードを聴いていましたか?

アンディ   1970年頃、当時15歳ぐらいだった私のために、父がどこからか45回転の中古プレーヤーを手に入れてきてくれました。どのレコードを最初に買うべきか3ヶ月間悩みに悩んで(笑)ようやく3枚のシングル盤を買ったんです。1枚目はBlack Sabbathの『Paranoid』。

ピーター   すごいファーストチョイスですね!

アンディ   そしてDeep Purpleの『Black Night』。3枚目がFleetwood Macで、彼らが大ヒットを飛ばす前の、ちょっとダークな『The Green Manalishi』をあえて選びました。この3枚は、現在に到るまでの私のヘヴィ・ロック・ロードを決定づけた元祖といえます。

ピーター   そのころから、すでにギターを弾いていましたか?

アンディ   ええ。父がピアノを弾いていたのに反抗して私が嫌がったので(笑)ギターを強く薦められました…典型的なフラメンコギターでしたが。でも、アコースティックギターでクラシックを弾いたところで、女の子たちにはモテない(笑)。なので、15歳のころから別の道を目指しました。Deep Purpleのリッチー・ブラックモアや、Black Sabbathのトニー・アイオミ、Fleetwood Macのピーター・グリーンのようなギタリストになりたかったのです。現在でも巨匠とよばれるような人たちですから、50年経った今でも、彼らの曲をマスターするために努力を続けています。

ピーター   Charさんは何歳からギターを弾き始めましたか?

Char   8歳ですね。

ピーター   おお、なかなか早いスタートですね。

Char   5歳上の兄の影響です。当時すでにティーンエイジャーだった兄は安いアコースティックギターを持っていて、ラジオの前に座って、The Venturesなんかの曲を片っ端からコピーしていました。私はというと、小学1年生の時からクラシックピアノを習っていまして。

Holiday Special Interview

ピーター   なるほど。

Char   兄は学校から帰るといつも自分の好きな曲をギターで弾いていて、とてもカッコよかった。比べて8歳の僕は、上級生のお姉さんたちばかりのなか男子一人でピアノを習っていたせいもあり、ピアノを辞めたくてしかたありませんでした。でも父と同じように兄にも「俺のギターに触るな!」と注意されていまして、兄が放課後テニスの練習をしてから家に帰るまでの間、毎日30分から1時間、こっそり彼のギターを弾いていたんです(笑)。

ピーター   お兄さんは気づいていたんでしょうか?

Char   ええ、ワナを仕掛けられてバレてしまいましたね(一同爆笑)。そのころ、レコードも聴き始めました。2000円もするLP盤は子どもには手が出なかったので、数百円のシングル盤を買って、父のように洋楽を聴いていましたね。Cream、The Yardbirds、The Beatles、The Rolling Stones…。

アンディ   最初にバンドを組んだのはいつごろですか?

Char   確か、小学5年生だったと思います。

ピーター   The Yardbirdsを初めて聴いたときは、9〜10歳だったんですね。バンドにはジェフ・ベックがいましたか? それともエリック・クラプトン の時代でしょうか?

Char   僕の兄はThe BeatlesよりもStonesファンで、The Beatlesのレコードはシングルが数枚とアルバムが1枚だけ。あとは全部Stones、Stones、Stones。まだ子どもでしたから、イギリスのバンドとアメリカのバンドの違いも知識としてまだありませんでした。The Yardbirdsで初めて聴いたのが『For Your Love』でした…確かエリック・クラプトンがバンドを脱退するきっかけになった曲ですよね。

ピーター   ええ、そうです。

Char   そのB面の『Got To Hurry』というシャッフルブルーズが好きでした。そのころはThe Venturesなんかも練習していましたが、この曲を最初に聴いたときに何か違うものを感じたんです…こんなふうに(と、Charさん、傍のギターを手に取り、The Yardbirdsのフレーズを弾く)。The Venturesはこんな感じでしょう(The Venturesのフレーズを弾く)。もちろんThe Venturesにもいろいろなタイプの曲がありますけれど。また、このころ、兄にブルーズコードやチョーキング、ビブラートなどを教わりました。ピアノの賜物か、「Aマイナーはこの音とこの音と…」という感じで、うれしいことに兄よりも簡単に音を拾うことができたんです。それからエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ というThe Yardbirds出身の3大ギタリストに夢中になっていきました。

ピーター   それが小学生のころなんですね?

Char   うーん…たぶんそのころはもう中学生になってたかな?

ピーター   ギタリストになりたいと思ったきっかけを覚えていますか?

Char   それも兄の影響ですね。兄は自分のバンドを組んでいて、僕ら兄弟の部屋で友達と練習していました。ギターやベースはとっても小さなアンプを使って、ドラムセットがないので、バケツやら電話帳を叩いたりして(笑)。そんな中、メンバーでもう一人のギタリストが、僕もギターを弾けることを知り「どんなのを弾くんだ?」と聞かれたので弾いて見せたんです。すると「おお、兄貴より上手いじゃん!」と褒めてくれたんですよ! 兄はケンカも強いし、頭もよいし、自転車や車の修理もできるし、僕にとって常に父親のような存在でしたから、そのとき初めて誰かに「兄より上手」と言ってもらえた瞬間で、とてもうれしかったですね。

ピーター   では、何かのレコードの影響というわけではないのですね。

Char   そうです。兄弟同士の競争ってあるじゃないですか。兄からは「お前はピアノばっかり練習して、ピアノが好きなんだろ」と言われていましたしね(笑)。

ピーター   アンディさんは、ギターに打ち込もうと思ったきっかけとなったレコードなどはありますか?

アンディ   Deep Purpleのリッチー・ブラックモアにはとても影響を受けました。初めて彼らのアルバムを聴いたとき「こんなのは聴いたことがない!」と衝撃的で。ラッキーなことに当時、彼らがとても小さな会場で行ったライヴへ行く機会がありました。サポートバンドにTear GasやAlex Harvey Bandなどがいたんです。小さなステージで彼らのライブアクトを観るのは初めてでしたが、ブラックモアの演奏は、Deep PurpleやLed Zeppelinがそうであるように、非常にハイレベルな即興でした。彼にだけスポットライトが当たり、15分間に渡るギターソロを楽しませてくれましたんです。私を含めそこにいる全員が釘づけになり、私はすぐにでも「あそこに立ちたい!」と強く思いました。それが初めて“ステージに立ちたい”欲求に駆り立てられた瞬間です。音楽プレイヤーなら誰もが一度はステージに立ってみたいと思うでしょうが、怖さが先に立つでしょう。私はいつでもステージに立つことが好きです(笑)。

ピーター   初めからですか? それは興味深い(笑)。

アンディ   「ステージ上でさらに上手くプレイしたい」という気持ちがモチベーションとなり、いざ本番で恥をかかないためにもより一層努力を重ね、能力を高めるのです。ブラックモアに関してさらに注目すべき点は、彼にはクラシックの素養があるということ。だから彼は、当時ほかのロックギタリストたちにはない、ユニークなスケールを生み出すことができたのです。さらに彼のサウンドは本当に質量を持っているかのようにガツンとヘヴィで、またショウマンでもありました。ジミ・ヘンドリックスのようにギターを破壊し、アンプに火をつけたり。そんな彼は私にとって完璧なコンビネーションだったんです

Char&ピーター   (一同爆笑)

Holiday Special Interview

ピーター   セミプロのバンドで演奏していたとお聞きしました。どのくらいの期間でしょう?

アンディ   19歳のときから、約10年間です。

ピーター   1980年代半ばですね。

アンディ   プロとして成功するかどうかわからなかったので、セミプロのままギターを続けていましたが、25歳のときにナイキ UKに入社し、29歳でアメリカ本社へ異動となりました。そのときにはもうプロになる気はなかったので、新たな人生、新しいキャリアに専念することにしたのです。手持ちの素晴らしい’60s Stratocaster®などはすべて売りました。

Char   (驚)全部売ったんですか!?!?

アンディ   ええ(苦笑)。しかしアメリカへ来て2年ほど経ったころ、オレゴン州ポートランドである質屋の前を通りかかったら、1986年のAmerican Standardがショーウィンドウに飾られていたんです。それはまさに新たなフェンダー for CBSのベンチマークとなるギターであり、私の新たなコレクションの最初の1本になりました。

アンディ   フェンダーに入社してから、私にとっての“聖杯”ともいうべき何本かのギターと出合いました。そのうちの1本が、David Gilmourの所有するシリアルナンバー#0001のStratocaster®です。

Char&ピーター   Wow!!!

アンディ   1954年製のモデルですが、おそらく一部パーツはオリジナルのものではないと思います。フェンダーカスタムショップで本来の姿へと復元してもらうつもりです。私たちは数々の伝説的なギターをそうやって生き返らせてきました。

Char   素晴らしいストーリーですね。


› ISSUE 1: HEROES MET THE SOUND(音あるいは音楽との出会い、そして歩み)
› ISSUE 2: THE PROSPECTIVE NEW ERA(デジタルストリーミング時代における音楽そしてギターの未来)
› ISSUE 3: THE NEXT LEADERS’ PURSUIT(新時代の音楽カルチャーを創造するマスターたちの挑戦)

PROFILE


Char(チャー)
Artist本名・竹中尚人(たけなか ひさと)。10代からバックギタリストのキャリアを重ね、1976年『Navy Blue』でデビュー。ソロと並行してJohnny, Louis & Char、Phychedelix、BAHOなどのバンド活動も精力的に行い、2009年にインディペンデントレーベル「ZICCA RECORDS」を設立し、2017年WebメディアOfficial ”Fun”club 「ZICCA ICCA」を開設。ギターマガジン主催「ニッポンの偉大なギタリスト100」グランプリに選出されるなど、日本を代表するプレイヤーのひとり。

Artist 2017年末より自身初となるアコースティックツアーを開催中。また、ツアー全公演をレコーディングし、ライブの約3週間後にお届けする企画CD「ZICCA PICKER」も自主レーベルZICCAサイトにて好評発売中。

› Website
http://top.zicca.net/


Peter Barakan(ピーター・バラカン)
ロンドン大学日本語学科を卒業後、1974年に音楽出版社の著作権業務に就くため来日。現在フリーのブロードキャスターとして「バラカン・ビート」(インターFM)、「ウィークエンド・サンシャイン」(NHK-FM)、「ライフスタイル・ミュージアム」(東京FM)、「ジャパノロジー・プラス」(NHK BS1)など多数の番組を担当するほか、執筆業、都市型音楽フェスティバルLive Magicのキュレーションなど精力的に幅広く活動中。
› Website:http://peterbarakan.net


Andy Mooney(アンディ・ムーニー)
ナイキ、ディズニー・コンシューマー・プロダクツ、クイックシルバーといったアパレル&ライフスタイル&エンタテインメント業界のグローバルブランドでCMOやCEOを歴任したのち、2015年6月、フェンダー ミュージカル インスツルメンツ コーポレーションのCEOに就任。豊富なビジネス&マーケティングスキルを生かし、デジタル施策を含めた大胆な取り組みをグローバル展開中。プライベートでは自身でもバンドを組むほどの音楽好きで、ギターコレクターでもある。

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