The Rock Freaks Vol.15 | 黒木渚

, ROCK FREAKS VOL.15

アーティストとフェンダーによるケミストリーを写真で切り取るエキシビジョンシリーズ「THE ROCK FREAKS」。第15回目は、天性の詩世界を持ち、シンガーソングライターだけでなく小説家としての顔も持つ黒木渚が登場。


文学、音楽、空間と三位で表現したいんです

シンガーソングライター、黒木渚。2016年夏に咽頭ジストニアの治療に専念し、音楽活動を休止している間に小説家としても才能が開花。現在は小説家としても活躍している。それだけではない。この取材のあと、ニュース番組『news zero』にコメンテーターとして出演するという。小説家として活躍するだけに表現力にも長けているし、写真を見ての通り、美しい。

テレビ局が黒木に白羽の矢を立てたのは当然とも言えるが、勝手に心配をしていた。何度か取材をさせてもらったことがあるが、黒木は破天荒で明け透けだ。過去の取材でもこちらが忖度して聞くのをはばかったような質問にも、聞けば必ずありのままを答えてくれる。『news zero』への出演は2回目だそうだが、初回出演の感想も「緊張しましたね。しかも、さすがにお酒を飲んで出演するわけにもいかないので、ウイスキーボンボンを大量に食べてから出演しました。なので、少し酔っていたかも」と破天荒さの片鱗を見せた。

しかし、そんな黒木だからこそ、歌が聴き手の心を揺さぶる。それだけではない。11月に発売された初の私小説「檸檬の棘」では、自らの生い立ちを赤裸々に描き、小説の世界でも多くのファンを獲得した。その私小説「檸檬の棘」にも書かれているが、黒木は中学・高校の6年間を厳格な全寮制の学校で過ごした。テレビすら観ることを許されていない寮生活で、当然、音楽もご法度。時折ヒットしたCDが秘密で回ってきて聴く程度の、音楽とは無縁の生活を送っていたという。

そんな黒木だったが、大学で軽音学部に入部。幼少の頃に祖母から日本舞踊を習っていたため、“ステージには何か面白いことがあるはず”と本能的に入部を決めたという。バンドを結成し、担当したのがギター。先輩からエレキギターを借りた。

「ギターを触る度に発見の連続でした。それと、ギターを持っているだけで不良の仲間になったようでワクワクしました。学祭では大音量でギターを鳴らして、スポットライトを浴びて。自己顕示欲をこんなに出してもいいんだって。だって、デカイ音を出す世界とは無縁の6年間を過ごしたので。抑圧からの解放でした」

音楽にバンドにギターに、黒木は次第にのめり込んでいった。 バンドのギタリストと付き合うことになり、2人でユニットを組んでライヴも行うようになった。大学を卒業する直前の9月、彼とのユニットで地元福岡でのライヴが決まっていたが、ライヴ直前に破局。ライヴだけは行うことになっていたが、当日、彼氏は来なかったという。
「楽屋で待っていたんですけど、来ないんですよ。仕方がないので、独りでステージに上がって、大して弾けないギターを滅茶苦茶に爆音で弾いて歌いました。もう琵琶法師状態。途中、会場を見たら客席に奴がいて…。奴めがけて“死ねー”って想いでギターをかき鳴らしました。それが人生初のソロライヴで、人生で一番惨めなライヴでした」

だが、奇跡が起きた。自宅に戻りヤケ酒を呑む黒木のもとに、ライヴハウスから電話がかかってきた。電話の内容は「来月も出演をお願いします!」だったという。

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Photograph by Maciej Kucia

大学卒業後は地元の市役所に就職。音楽活動は続けていたので、平日は勤務時間が終わるとスタジオに直行。週末はライヴツアーに出た。活動を続けていくうちに、地元のライヴハウスでは100人を集めるほどになった。

「100人が集まったワンマンライヴで、お客さんに“日本武道館のステージに立つ”と約束しちゃったんです。その約束を守るには福岡にいたらダメだと思い、市役所を辞めて上京することにしたんです」

いわば一大決心をしたわけだが、黒木自身は「変な力みもなく自然な流れでした。しかも、変化が起きる時って、不思議なんですけど、必ず周りの人が導いてくれるんです。上京する前に今の事務所のマネージャーさんに“君は東京に出て勝負すべき”って声を掛けてもらえたり」と飄々としている。

2013年に上京。バンドは解散しソロ活動へ。そして、黒木渚の快進撃が始まった。フェンダーとの出会いも、何かに導かれるような感覚だったという。

「知り合いのミュージシャンから別メーカーのギターを薦められて、そのギターを買いに行ったお店で、赤いフェンダーのCoronadoにひと目惚れしたんです。レコードをジャケ買いするような感じで、試奏する前に買うことを決めました」

2016年、ジストニアの治療のために音楽活動を休止。音楽を再開するきっかけも、知り合いから譲り受けたギターだったという。

「咽頭ジストニアになってからは音楽が嫌いになったし、怖かったです。ライヴでもテレビでも、人の歌を聴くのが嫌でした。特に、軽薄な音楽がブームになっているのを見ると腹が立ったし、喉とは関係のないギターも弾いていなかったんです。ある時、知り合いからギターをもらったんですけど、もらったからには何か曲でも作らなきゃじゃないですか? それでヌルっと音楽活動を再開したんです」

ジストニアの活動休止から、音楽活動再開の扉を開いてくれたのも知人。しかも、その知人がくれたギターが復活へ導いてくれたわけだ。

活動再開後は多忙を極める黒木。9月にフルアルバム「檸檬の棘」をリリースし、11月に同名の小説を発刊したばかりだが、すでに新しいアルバム制作と小説の執筆に取りかかっているという。「今が一番楽しい」と、活動の充実ぶりが言葉からもわかる。

さらに、間も無く始まるライヴも、今回から演出も自身で担当するそう。「文学、音楽、空間と、三位で表現したいんです」とインタビューでも語っていたが、自らの表現に対して自信を持っていることをハッキリと自覚しているようだ。黒木がやろうとしていることは、単にヒットを産み出すことだけではない。抽象的な言い方だが、黒木は表現を取り戻そうとしているのだと思う。

例えば、フェスの熱狂は表現による熱狂とは違う。フェスの熱狂は集団による熱狂、あるいは肉体的な熱狂だ。そうではなく、黒木は音楽、文学、空間を駆使し、表現そのもので人々を魅了したいと思っている。それをやり遂げられるのは、今の世代において黒木渚が最有力なのかもしれない。そうした表現を取り戻そうとする中で、黒木ならギターやバンドの意味を、新しく世界に提示してくれるような気がする。

そんな期待を黒木に話すと、手にしていたギターをポロポロと弾き、「ふと思ったんですけど、ギターって一度覚えたら一生忘れないんですよね。ということは…私は80歳になってもギターを弾いているんだ。ギターババアになれるんだ。何かすごいことに気が付いてしまったなぁ。よーし!ギターババアだ!」と無邪気に笑っている。

もしかしたら、小説のネタになるのかもしれない。はたまた、本当にギターの新たな魅力に気が付いたのかもしれない。常に想像を超えてくる黒木渚が何をしてくれるのか。今、期待しかない。


黒木渚
独特の文学的歌詞で、女性の強さや心理を生々しく歌い上げる、孤高のミュージシャン。小説家。宮崎県出身。全ての作詞作曲をつとめる。 2010年12月、自らの名前を掲げたバンド“黒木渚”を結成。2012年12月、「あたしの心臓あげる」でデビュー。各方面で話題となり、大型フェスにも出演するが、わずか1年でバンドは解散。2014年、ソロ活動を開始。同年10月にリリースした2nd Full Album「自由律」はオリコンチャート初登場10位にランクイン。2015年11月、初の連作小説「壁の鹿」で小説家として文壇デビュー。2016年4月、シングル「ふざけんな世界、ふざけろよ」をリリース。同年7月には、配信シングル「灯台」をリリース。iTunesのトップソングで4位にチャートインした。2016年8月、咽頭ジストニアによる音楽活動休止を発表。その後は小説の執筆活動に没頭する。2017年9月、1年間の音楽活動の沈黙を破り、シングル「解放区への旅」をリリース。TSUTAYA O-EASTで開催された復活ライブは即日完売。また復活記念のLINE LIVE配信では46万人が試聴し、大きな注目を浴びた。その後、喉が思うように回復せず、約2年間は執筆に専念し、講談社より小説「本性」と「鉄塔おじさん」、光文社より小説「呼吸する町」を刊行。2019年10月約4年ぶりとなるフルアルバム「檸檬の棘」で音楽活動を本格再始動。さらに11月には同タイトルの初の私小説を刊行した。2020年1月から福岡、大阪、東京にて約2年ぶりとなる単独公演も決定している。
› Website: https://www.kurokinagisa.jp 

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