Interview | 小曽根真 × 山岸竜之介 -後編-

小曽根真 × 山岸竜之介

日本を代表する世界的なジャズピアニストである小曽根真と、20歳のギタリスト山岸竜之介によるスペシャル対談。前編では2人の出会いの経緯などについて聞いたが、今回は小曽根率いるビッグバンドNo Name Horsesの結成秘話や、昨年6月に行われたライヴでのエピソード、さらにはフェンダーに対する2人の思い入れなどを語り合ってもらった。

“アーティストに近い楽器”という イメージがフェンダーにはある
 

―  そもそも小曽根さん率いるビッグバンドNo Name Horsesは、どんなふうに結成されたのですか?

小曽根真(以下:小曽根)   実を言うと、“瓢箪から駒”みたいにできたバンドなんです(笑)。ビッグバンドって経済的にものすごくコストが高くて、継続させるのは大変なんですよ。何しろ15人編成ですからね。もともとは、ジャズシンガー伊藤君子さんのレコーディングのために僕が集めたバンド。日本を代表するミュージシャンばかりですが、初めて顔を合わせるメンバーもたくさんいた。にも関わらず、演奏してみたら素晴らしくて。僕は当時、ニューヨークに住んでいたのですが、“日本でもこんな素晴らしいビッグバンドが作れるんや!”と感動したんですよね。レコーディングは3日間でしたが、それで終わらせてしまうのは悲しくて(笑)。思い切って“このバンドでツアーがやりたい”と持ちかけてみたところ、みんなが“やりましょう!”と言ってくれたんです。それで伊藤さんのツアーの後、No Name Horses名義でアルバムを出すことになったんですよね。

山岸竜之介(以下:山岸)   そんな経緯があったんですね。

小曽根   “さあ、今から新しいビッグバンドを結成するぞ!”という感じではなかった。もちろん、そこから今までの15年にはいろいろなことがあったけど、ちゃんとバンド全員で乗り越えてこられたのは良かったなと思う。

―  そんなNo Name Horsesの一員となった山岸さんですが、ライヴ本番はどうでしたか?

山岸   小曽根さんがハモンドオルガンを弾いている時に、そばに行って掛け合いのソロをやる場面があるんですけど、その時のバトルが毎回めっちゃ楽しくて。“え、コードそっちへ行く?”みたいな瞬間が何度もあるんですよ。“そうそう、これがやりたくて俺はギターを始めたんだよな!”と思い出させてくれるというか。“こうやって弾けばいいんでしょ”じゃなくて、“これはどうだ!”“俺はこう弾きたいんだ!”みたいな、チャレンジ精神からくるワクワクって、ジャンル関係ないんだなと思いましたね。

―  ちなみに山岸さんは、ジャズのインプロヴィゼーションについてはどんな認識だったのですか?

山岸   僕の家族は音楽一家というか。父親が趣味でバンドをやっていて、母親もすごく音楽が好きで、両親が好きなジミ・ヘンドリックスやスティーヴィー・レイ・ヴォーンのビデオがずっと流れていて。食事の時もラジオからロックやジャズが流れているような、そんな家庭だったんですよね。なので、自分が音楽を始めた時には、楽譜通りにキチッと弾く人よりも、1コードや3コードで一発でセッションしてカッコいい人に憧れていました。フォーマットとしてジャズやロック、フュージョンとかがあっても、その根本は変わらないというか。“今、俺はこう弾きたい!”と思ったフレーズが、瞬時に出てくるものが本物やと思うんです。そういう意味では、ジャズにおけるインプロヴィゼーションは、僕にとって一番カッコよくて憧れるところですね。

―  なるほど。小曽根さんをはじめ、一流のミュージシャンとのインプロヴィゼーションはどうでしたか?

山岸   何て言うか…お父さんに人生相談しているような(笑)。“このサウンドはどうですか?”“このフレーズは?”っていうふうにぶつかっていくと、全部それを受け止めてくれるんです。

小曽根   まぁ年齢的にはお父さんというより“おじいちゃん”やけどな(笑)。僕はジャズって、どんな球が来ても打ち返せる対応力を持っているかどうかが大事だと思うんですよ。そういう意味では今回、竜之介が加わってくれたことで、今までにない新鮮なやり取りができたと思いますね。

小曽根真 × 山岸竜之介

Photo : Ayumu Kosugi

―  ところでお2人は、フェンダーに対してどんな印象を持っていますか?

山岸   お父さんが黒のTelecasterを持っていて。ライヴハウスのパスステッカーなんかがベタベタ貼ってあったやつなんですけど(笑)、僕が子供の頃はそれがソファに立てかけてあって、仕事が終わるといつも弾いていたみたいなんです。僕も真似してジャカジャカかき鳴らしていたら、ある時に父親がチューニングをオープンGにしてくれて。しかも、さっき話したようにジミヘンとレイ・ヴォーンが僕にとってのギターヒーローで、2人ともStratocasterを使っていたから、僕にとってフェンダーは育ての親でもあり憧れのメーカーでもあるんです。

小曽根   “アーティストに近い楽器”というイメージがフェンダーにはありますね。単に音の出る製品を作っているのではなく、音楽を作るように楽器を作っているというか。それってミュージシャンにはちゃんと伝わっているからこそ、こんなに愛されているんじゃないかな。触っているとインスピレーションが次々と湧いてくるような、そんな楽器を目指している気がします。

山岸   わかります!

小曽根   僕は鍵盤弾きなので、フェンダーと言えばやっぱりローズピアノ。ローズの音で印象に残っているのは、チック・コリアが70年代に活動していたバンド、リターン・トゥ・フォーエヴァーです。自分が弾くようになったのはそれから随分あとですね。まずハモンドから入ってピアノを弾くようになり、その次にエレピにいきました。ピアノとは音が出るタイミングが違うから、エレピでグルーヴさせるのにはだいぶ苦戦した思い出があります(笑)。で、できないと悔しいから一生懸命練習して、それでアルバム半分をローズで作ったトリオバンドの作品が「リアル」(2005年)なんですよ。僕はローズと言うと、モノトーンの世界をイメージするんです。あの独特の世界に一時期ものすごく惹かれましたね。

―  今回お2人が共演した感想を、最後に改めて聞かせてもらえますか?

小曽根   竜之介という、ロックギターを弾いてくれるミュージシャンと一緒に演奏したのは、僕にとってとても貴重で新鮮な体験でしたね。あまりジャズのミュージシャンで、ディストーションサウンドを求める人はいないと思うんだけど…。

山岸   小曽根さんに“竜之介、もっとギターを歪ませて!”って何回も言われましたよ(笑)。

小曽根   うるさいギターは今まで嫌いやったのに、今回は“もっと音を大きく!”って言ってたよな(笑)。竜之介のおかげでロックギターの魅力を再発見して、もっといろいろと学びたいと思っているから、これからもよろしくな。

山岸   めっちゃ嬉しいです。こちらこそよろしくお願いします!


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PROFILE

小曽根真
1983年バークリー音大ジャズ作・編曲科を首席で卒業。同年米CBSと日本人初のレコード専属契約を結び、アルバム「OZONE」で全世界デビュー。以来、ソロライブをはじめゲイリー・バートン、ブランフォード・マルサリス、パキート・デリベラなど世界的なトッププレイヤーとの共演や、自身のビッグ・バンド「No Name Horses」を率いてのツアーなど、ジャズの最前線で活躍。2003年、グラミー賞ノミネート。2011年より国立音楽大学(演奏学科ジャズ専修)教授に就任し、2015年にはJazz Festival at Conservatory 2015を立ち上げるなど、次世代のジャズ演奏家の指導、育成にもあたる。近年はクラシックにも本格的に取り組み、国内外の主要オーケストラと、バーンスタイン、モーツァルト、ラフマニノフ、プロコフィエフなどの協奏曲で共演を重ね、「比類のない演奏で、観客は魅了され大絶賛した」(北独ハノーファー新聞)など高い評価を得ている。 ‍2010年、ショパン生誕200年を記念したアルバム「ロード・トゥ・ショパン」を発表し同名の全国ツアーを成功させ、 ポーランド政府より「ショパン・パスポート」を授与される。 ‍2014年にはニューヨーク・フィルのソリストに抜擢され、韓国、日本、ニューヨーク公演で共演。以来、サンフランシスコ響、デトロイト響、ラビニア音楽祭(シカゴ響)に招かれるなど、米国でも躍進を続けている。 2016年には、チック・コリアとの日本で初の全国デュオツアーを成功させ、2017年にはゲイリー・バートンの引退記念となる日本ツアーを催行。また、秋には10年ぶりに小曽根真THE TRIOを再結成し、最新アルバム「ディメンションズ」をリリース。また、11月には再びニューヨーク・フィルに招かれ、”バーンスタイン生誕100年祭”の定期演奏会に出演。アラン・ギルバートの指揮のもと、「不安の時代」とガーシュイン「ラプソディ・イン・ブルー」を3日連続で熱演し、リンカーン・センターの満場の聴衆から大喝采を得た。このライヴ録音は、2018年3月、ユニバーサル・ミュージックより「ビヨンド・ボーダーズ」と題して、小曽根真の初のクラシックアルバムとして、CDリリースを果たした。 映画音楽など、作曲にも意欲的に取り組み、多彩な才能でジャンルを超え、幅広く活躍を続けている。 2018年春、紫綬褒章受章。
› Website:https://makotoozone.com


山岸竜之介
幼稚園年長の頃、『さんまのスーパーからくりTV』にてCharとギターセッションをし一躍注目の存在となる。その後、プロのアーティストと共演を重ね、ギターの殿堂、EXPERIENCE PRS in JAPANへの出演も果たす。KenKen、ムッシュかまやつとともに結成したファンクバンド“LIFE IS GROOVE”では、RISING SUNやSUMMER SONIC、台湾の大型フェスにも多数出演。10代にして、音楽の聖地であるBlue NoteやBillboardでのバンドとして単独ライヴも果たした。ソロ活動も積極的に行い、昨年2019年初のミニアルバム「未来アジテーション」とデジタルシングル「Way to life」をリリース。また、ギタリストとしても数々のミュージシャンとコラボしている。
› Website:https://ryunosuke-gt.com/

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