Special Interview | イングヴェイ・マルムスティーン

来日中のイングヴェイ・マルムスティーンにインタビューができるという話が舞い込んできた。単独公演としては約9年ぶりとなるジャパンツアーの合間に、彼が原宿にあるFender Flagship Tokyoを訪れることになり、そのタイミングで、非常に短い時間ではあるがインタビューの機会を得ることができたのだ。

ストア最上階にあるFender Custom Shop専用フロアにて、イングヴェイ少年がギターを手にしたきっかけや練習方法、そしてギタリストを志すギターキッズに向けた彼らしいメッセージなどを聞くことができた。短いやりとりの中にイングヴェイ節がふんだんに盛り込まれているので、ぜひ読んでみてほしい。

Fenderが、しかも俺の名前を入れたギターを作ってくれるようになった。そんな名誉なことがあるか?

──ようこそFender Flagship Tokyoへ。このストアの印象はいかがですか?

イングヴェイ・マルムスティーン(以下:イングヴェイ) 素晴らしいね。すごくいい。日本製のギターをいろいろ見てみたいね。

──あなたが初めてギターを弾いたのはいくつのときだったのでしょうか?

イングヴェイ ジュラ期のはじめ、だったかな?

──あはは! ギターを弾くようになったきっかけは? 

イングヴェイ 初めてギターを手に入れたのは5歳のとき。7歳のときにジミ・ヘンドリックスがギターをぶっ壊すのをテレビで見た。そして、彼が死んだ日、1970年の9月18日を境にギターを弾き始めたんだ。うちは家族全員、兄貴も姉も叔父も叔母も、オペラ歌手だったり、ヴァイオリン奏者だったり、クラシックの素養があったけど、俺はロックンロールしかやりたくなかったから、エレクトリックギターを手に入れたんだ。見た目はストラトだけど、実は安いチープなギターでね。俺がけっこう上手く弾けるもんだから、兄貴は「なんだ、こいつは」という感じで驚いてたよ。そのうち、兄貴がもっと高いギターとファズボックスを買ったから、俺はそれを使わせてもらうようになったんだ。兄貴はいつも家にいなかったからね。

──その後は?

イングヴェイ 12歳の夏休み、母親が家のペンキを塗り直すと言うんで「金を払って塗り直すなら僕にやらせて」と言って、夏の間ずっと家のペンキ塗りをしたんだ。それで稼いだバイト代が2500クローナ、ドルにすると200ドルくらいだったかな。実はずっと欲しくて目をつけてたギターがあって……今手にしてるギターにそっくりで、ホワイトでメープルネック。その当時出たばかりの1975年モデルだったんだ。でも、店に行ってバイト代を出したら「これじゃ足りない」と言われてね。「ひと夏頑張ったのに……。クソ、どうしよう」と思っていたら「代わりにこれならあるぞ」と店員が店の奥から出してきたのが1968年製のギター。当時は新品よりも安かったんだ。古いものは価値が低かったのさ。俺は1968年なんかじゃなくて新しいのが欲しかったけど、仕方なく1968年モデルを持って家に帰った……というのが1975年の話。

──当時、どんな練習をしましたか?

イングヴェイ 練習はしたことないな、一度も。

──え、一度も? レコードに合わせて弾くだけ?

イングヴェイ いや。

──それもない?

イングヴェイ ないね。常に人前で演奏しているかのように弾いてたんだ。たとえベッドルームで座って弾いていたとしても、だ。自分を感動させられるような演奏でなきゃダメなんだよ。だからスケールを練習したことも一度もない。当然、スケールは(ギターを弾く上での)全てだ。だが、練習はしない。今もしてないさ。バンドともリハーサルはしない。「この曲を覚えておけ」と言うだけ。覚えないと大変なことになる。ステージに上がって弾く。リハーサルはしない。リハーサルは信じてない。


──あなたにとっての初めてのFenderは?

イングヴェイ 初めてのFenderはさっき話したストラトキャスターさ。1968年製。

──Fenderのイメージを教えてください。

イングヴェイ わかってほしいんだけど、俺が育った1970年代のスウェーデンにはメディアなんてものはなかったから、情報なんて入ってこなかったんだ。バンドもこないし、何もないから何も知らない。知ってたのはディープ・パープル、それだけだ。レッド・ツェッペリンも聞いたことがなかったし、ブラック・サバスも聞いたことがなかった。ギターといえばFenderと某社の二つしかない。でも某社は見た目がアコースティックギターみたいで、俺はそんなのは欲しくなかった。クールなギターが欲しかったんだよ。

──Fenderのほうがクールだったと?

イングヴェイ ああ、Fenderはクールだ。アコースティックみたいなのとは違う。

──1988年、FenderはYngwie Malmsteenモデルを出していますね。

イングヴェイ 自慢する気はないけど、俺がアメリカの音楽シーンに出て行ったとき、誰もが俺のギターに驚いたんだ。ありとあらゆるギター会社が……某社ですら「うちのギターを使ってくれ」と持ってきた。でも俺は「ノーサンキュー、俺はFenderを使うから」と断ったんだ。一度として俺は受け取らなかったよ。もちろん、Fenderからギターを提供してもらえるなんて考えてもみなかった。ところが、1984年頃からFenderを使わせてもらえるようになったんだ。そして、1986年にカリフォルニア州ロングビーチ・アリーナであった俺のコンサートにダン・スミスがやってきた。ジェフ・ベックも、エリック・クラプトンもシグネイチャーモデルを出していなかった頃だよ。ダン・スミスが言うには、その頃は世の中の誰もがヴァン・ヘイレン・ギターを使っていて……ヘッドストックが尖っていて、ワーミーバーがあって、ハムバッカーで、ストライプ柄で……そんな中、俺だけがストラトキャスターを弾きながら登場したんだ。ダンは「ストラトを弾き続けてくれ」と俺に言ったよ。あと、「君を見て目標ができた」って。そのとき俺が弾いていたのは1956 Stratocasterと1961 Stratocasterだったんだけど、彼らはその2本を完全にコピーしたギターを作ったんだ。さらに、今の71年モデルも作った。最初の2本を初めて見たのは1987年初め、テキサス州オースティンでアルバム『Odyssey』のレコーディングをしていたとき。ダン・スミスがスタジオに持ってきてくれたんだ。「これがイングウェイ・マルムスティーン・ギターだ」ってね。そのときに渡されたギターを受け取った俺は、そのまま弦も何も変えず、アルバムのソロを弾いたんだ。

──そのギターのどんなところが気に入ったんですか。

イングヴェイ そのギターは俺が自分でカスタマイズしたところまで完全に再現してくれたんだよ。スキャロッピングとか、全てをね。いまだに信じられない話だよ。考えても見てくれよ。偉大なジェフ・ベック、リッチー・ブラックモア、ジミ・ヘンドリックス……誰もがギターは自分で買っていたんだ。当然、俺もそのつもりだった。自腹でFenderギターを買う。それしかなかったからね。他のギターなんていらなかったよ。そうしたら、Fenderが、しかも俺の名前を入れたギターを作ってくれるようになった。そんな名誉なことがあるか?(持っていたギターを持ち替えて)これは家のペンキ塗りをしてもらった金で買いたかったギターとそっくり同じ。この色が昔からずっと好きだったんだよ。あとは、メープルネック、でかいヘッドストックというのもいい。

──手にしてみていかがですか?

イングヴェイ 最高だよ。

──これからあなたのようなギターヒーローを目指すギターキッズへ向けて、メッセージやアドバイスがあったらお願いします。

イングヴェイ おかしいことでも言おうかと思ったけど、少し真剣に話すよ。どうすればギターヒーローになれるかなんて知ってるヤツはどこにもいないと思う。できるのは、自分の内にある本質を発見すること。それを発見したなら、他人を模倣するのはやめろ。他人の言うことは聞くな。「失せろ!」と言え。自分の意見以外は雑音だ。前に進め。軌道に乗るまでに何度も失敗しなければならなかったとしても、それでいい。道を変えるな。でも、多くのやつにはその道がない。それが問題だ。そういうヤツらは誰かのようになりたいだけ。他人の言うことを聞き、そいつらに「そんなのよくないに決まってる」と言わせるんだ。俺もスウェーデンに住んでた頃、周りにいるヤツらから言われたよ。「何をやってる? 何を弾いてる? ヘヴィメタルがネオ・クラシカルと混じったもの? なんだそれは? そんなクソみたいな音楽、誰も聴かないぞ」ってね。そこで俺がなんて言い返したかわかるか? それは……とてもここでは言えない。

──あはは!

イングヴェイ 俺からのアドバイスはそれだけだ。


イングヴェイ・マルムスティーン
https://www.universal-music.co.jp/yngwie-malmsteen
Yngwie Malmsteen Strat
https://www.fender.com/ja-JP/artistmodels/yngwie-malmsteen-strat/5255002363.html
Yngwie Malmsteen Stratocaster
https://www.fender.com/ja-JP/electric-guitars/stratocaster/yngwie-malmsteen-stratocaster/0107112841.html

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